英語教育 雑感 [コラム]

日本で普通に生活している限り、英語はいらない。それはもう、日常生活に因数分解や開脚前転やリコーダーの演奏がなくても、別段問題なく暮らしていけるのと同じことだと思う。

でも、日常生活に直接関係しなくても、いろいろなことを学ぶことで自分の知的世界と行動範囲は広がっていくし、深まっていく。そこが大事なことなのではないだろうか。

ただ生きていくだけに血道をあげるなら、それは生物としての本能に従っているに過ぎないわけだから。

しかしまあ、このあたり、分かっている人は言われなくとも自明のことと思うだろうし、分かっていない人はいくら言葉を尽くしても、意味不明の御託を並べているとしか思ってもらえないのだろうと思う。

結局自分は、英語を教えることを通して、「知的世界と行動範囲を広げてみよう」と呼びかけたいのだろう。

多分それは「とっとと英語力だけ伸ばしてくれれば良いんですよ。自分の知的世界と行動範囲を広げることなんかは、自分で考えます」という人たちのニーズとは食い違う。そして、世の中の英語学習者のかなりの多くがこちらのパターンだ。

ただ、ここで問題となるのが冒頭で述べたことになる。英語の力は、基本的に「なくても生きていける」ことなので、英語の勉強もほとんどの人にとっては、やはり「やらなくても生きていける」ことになる。そこで、どう英語学習に取り組むか、という話になるのだ。

本来の学びの姿勢が出来ているのであれば、自力では埋められない部分をうまく教材やレッスンを活用して埋めていくことができるのだが、そうでない場合、一から十まで「教えてもらう」ことに頼ってしまう人があまりに多い。しかも、対価を差し出すことなしに、だ。

100円のお菓子を手に入れるには、自分の持っている100円玉を差し出さなくてはならない。それと同様に、何かを学ぶには、何かを差し出すことが不可欠になる。しかし、「学習丸投げ」タイプの方は、それすらも差し出そうとしない。

「時間もかけたくないし、金もかけたくないが、実力だけはつけてくれ」

そう言われてもなあ、と腕組みして首を傾げつつため息をついてしまう。お菓子は欲しい、でも100円玉は手放したくない。そんな駄々っ子のようなことを言われても。

哲学者の木田元さんの「闇屋になりそこねた哲学者」という本に、木田さんがどのようにして語学を身に着けたのかという、すさまじい(かつ、「哲学」という上位目標があれば、このぐらいやれても不思議はないなあと思わせる)エピソードがあるので、ぜひ参照していただければ、と思う。

こういう本を読んだ後に、「NHKの講座のテキストが数十円値上がりした!ふんだくりやがって許せん!」みたいな意見を耳にすると、実にこう、深く脱力してしまう。そういう方に限って、趣味には平気でポーンとお金を出すのではないだろうか。値上がりしても1か月で4百数十円。一日あたりにしたら、20円にもならない。まあ、私の講座は週2回なので、1日あたりだと50円ちょっとになるが、今時それで他に何が買えますか?

それとも、私の金銭感覚がずれているのかなあ。語学学習のために、ひと月に4百円ちょっと使うなんて、言語道断の浪費なのだろうか。

ラジオ講座の話が出たのでついでに触れるが、放送の際に「余談が多い」というお叱りの声も耳に入ってくるが、あれは「余談」じゃないんですよ。テキストの内容を起点にして、四方八方に広がっている道を、時間の許す限りご紹介している……のだが、まあ、それが「余計」と感じてしまう方は、資格試験の対策CDなんかをお聞きになることをお勧めする。でも、聞かないのだろうとおもうし、聞いても「聞き流す」ことしかしないから、時間やお金をかけても前進できないのだ。

正直、あるレベルから先になると、英語そのものを勉強していても仕方ないし、そもそも日本に住んでいれば日常生活にはほぼ必要のない言葉をせっかく学ぶのだから、「役に立つ、立たない」という狭い料簡で考えていては、もったいない。英語をツールにしていろいろなことを吸収して、考え、それを発信し、発信したことに対する周囲の反響をもとにさらにいろいろなことを吸収し、考え……というサイクルを回してほしい。

それ以前のレベル、というか、あまり使いたくない尺度だが、実感できる人が多いと思うので嫌々使うのだけれども、TOEICでAレベル(860点)にも届かないのであれば、良い教材やレクチャーはいくらでもあるので、あとは「やるかやらないか」だけだと思う。

今、英語教育に必要なのは、「中・上級レベル」、つまり、「英語ができると周りには思われているけれど、今一つ壁を破れない気がしている」層にとっての教材とレクチャーだと思う。それに対する回答の一つが、私が目指しているラジオ講座というわけだ。

ただ、これもいろいろ難しいというか、おそらく、ではあるけれど、NHK側は常に「より優しく、万人向きに」と考えているのだと思う。ともすると、非常に優しいレベルの解説やら語句紹介やらということになってしまう。公共放送としては、仕方ないことなのだろう。

ある程度突き放して、「この点に関してはちょっと調べれば分かりますので、ぜひ調べてみてください」とやりたいのだが、そして、逆に私の講座のレベルのリスナーにはそういうことが必要だと思うのだが、さすがにそれは無理なようだ。

寄せられる質問も、ともすると単なる文法解説に終始してしまうので、「全部が文法関連の質問、というパターンはなるべく避けましょう」とお願いしてある。とはいえ、「文法的に納得したい」のが日本の英語学習者の特徴のようで、4月から都立日比谷高校の石崎先生に文法に絞ったコラムを毎月ご依頼しているのは、そのような質問に、さらに手厚く対応できる体制を敷こうと考えたからだ。

それでもいろんな声はあるようで、「柴原の喋りを全廃しろ。そして英文の分量を5倍に増やせ」というものもある。そこまでの力がある方は、どうぞ一般の英語放送をお聞きください、と言いたくなるが。もっとも、毎回同じ指示を出していることに関しては、私もいろいろ思う所はあるのだが(特にRepeat & Look upのやり方など)、NHK側からそういう指示があるのでそれに従っている部分もある。

昔、父がよく見ていた東後勝明先生の「テレビ英語会話」みたいなものが、今、必要なのではないかなあ。

http://www.youtube.com/watch?v=EwR4_xxawdA

さすがにこれをやる力は、自分にはないけれど、関谷先生あたりだったら面白い番組になるのではないか、と思う。

なんだかまとまりのない文章になってしまったが、要は「日常的に直接役立たないからこそ、学ぶ価値がある」ということが、そもそも言いたくて書き始めたのであった。

ま、自己弁護、とも言いますね(笑)。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

お役にたちたい [コラム]

要はまあ、作業犬のようなメンタリティーなのかな、とも思う。頑張っている人のお手伝いをしたい、自力では越えられない壁を越えようとしている人の援護射撃をしたい。

一言でいえば、「何かお役にたてれば幸いです」と思いつつ、出動要請を待っている感じだ。だから学生であれ誰であれ、SOSを発信している人に気づくと燃える。

逆に、自力ではほとんど何もせず、「さあ、早く何とかしてくれないかね、キミ」みたいな感じだと、「えー、まあ、大変っすねえ、ホント。あー大変だ大変だ。頑張ってくださーい」と爪楊枝でも使いたくなる。

問題は、後者のパターンが圧倒的に多いのが世の常で、教師という職業上、それでも何らかの対応をせざるを得ないということ。

まあ、一生懸命やろうとしていない人に対して、努力の必要性と方向性を示し、具体的なやり方を示したうえで、背中を押してあげるのも大事な仕事だ。

そもそも、自力で頑張っている人は、基本的に他人の力を借りずに黙々と前進していくから、こちらの出番はほとんどないわけだし。

普段は応援団をしつつ、SOSが来たら全力で援護射撃。そんな形でこれからも行くことになるのだろうなあ。

「日本のジレンマ『“救国”の大学論』 」を見ました [コラム]

実に示唆に富んだ座談会だった。個人的には北川さんの考えに強く共感する。また、税所さんのアイディアにも目を開かされることが多かった。

以下、録画を見ながらとったメモを列挙しておく。

柴原 智幸

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古市さん
→「ステップ」「関門」としての大学の在り方が変わってきた。

松田さん
→(アメリカの大学院は)主体的にやるのが当たり前の場所。理論を学ぶではない。論文を読んできて、どう感じたかを討論する。

北川さん
→海外の大学は、自分の持っている世界観の外に出られる体験をさせてくれる。

税所さん
→大学の授業は面白くないが、授業をエスケープすれば何でもやれる場がある。大学はRPGで言うところの「はじまりのまち」みたいなもの。仲間やバックアップしてくれる先生がいてそこでパーティーを組む。

松田さん
→アメリカの大学は、教授がファシリテーションに徹している。議論が脱線したら、一言で戻してくれる。

北川さん
→留学中は「多様性を強制」された。今までの自分の枠を乗り越えないと先に進めない。

税所さん
→バングラデシュでは、今学生運動真っ盛り。それに比べると日本の大学は落ち着いて学べていい。

***

古市さん
→「グローバルな人材」は作れるのか?

税所さん
→大変な場所に一人でポンと放り込んで一からやらせると育つ。

***

授業は少ないほうがいい(税所さん)⇔授業でみっちり縛られていた(松田さん、北川さん)

北川さん
→「リベラルアーツ」を学ばされ、理論物理学を専攻していた自分も、芸術の授業を取らされた。嫌だったけれど、行ってみると楽しい。自分の世界観が広がったかけがえのない経験。

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税所さん
→「良い先生」に接していると、自己肯定感が上がる。

北川さん
→確かに高校のころから成績は良かったが、価値基準が違った。楽ができた面はあったと思うが、成績が良いことそのものに価値を見出さなかった。

***

・大学の起源

<ヨーロッパ>
知を求める人が集まって自然発生的にできた。

<日本>
国家のための人材養成が目的だった。

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北川さん
→大学は自分のストーリーを作る場所。自分は何を大切にしてどう生きるかを作る場所であり、卒業してから働く会社は、自分のストーリーの上に乗るものでしかない。

日本は会社にストーリーがあり、そこで働く人は自分を変えてでも会社のストーリーに乗る。だから新卒一括採用が成立する。

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北川さん
→自分は変わることができる、今はできないことができるようになるというSelf-efficacy(自己効力感 現状に対して適切な行動をとれる自信のこと)を得るには、自己尊厳が大切。それを高める教育が圧倒的に欠けており、それができれば国民は救われる。

松田さん
→高校生の65%が「自分は価値のない人間だ」と思っている。

財団法人 日本青少年研究所の調べでは、「自分が価値ある人間と思うか?」という質問に、「そう思う」と回答した高校生は35%。

北川さん
→「就職活動は成功しなければならない」という単一の価値観しかメディアが伝えないのが問題。いろんな評価の軸を社会的に取り上げるのが良い。

***

MOOCS(Massive Open Online Courses 大規模公開オンライン講座)
→終了認定証があるのが特徴。たとえばCourseraなど。

「知のオープン化」で大学の存在理由が問い直されている。

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DVDを見れば済むなら、大学は不要なのでは?

税所
→DVDだけだとすぐに飽きてしまった。そこで大学に見学に連れ出したり、実際に大学生に面倒を見てもらったりすると変わった。

北川さん
→教育には感情的なタッチが必要。やる気に焦点を当てた教育、やる気の最大化がカギ。

***

北川さん
→建前で人生設計をしているから、うまくいかない。

***

北川さん
→大学には、「大胆な教育」をやってほしい。新たな価値観などを提言する教育を。

税所さん
→日本の大学が集まって100億ぐらい出し、社会貢献にお金を出すファンドを作ってほしい。そういう援助を受けるような活動をしていたら、大学の単位にもなってほしい

オリンピックのボランティア通訳がらみですか……。 [コラム]

バタバタしていて、ひと夏放置状態だったこのブログですが、「学問」ランキングでずーっと20位ぐらいをウロチョロしていたはずなのに、久々に更新してみたら、今日のランキングは14位。いったい何が?と思っていたのですが、検索ワードをチェックしてみて合点がいきました。

東京オリンピックの開催が決まったので、ボランティア通訳がらみで検索を行なっている方が、多数たどり着いているようです。

えーと、まあ、柴原的には、「頑張ってください!」といろいろな意味で申し上げたいと思います。思いは非常に複雑なんですが。

私自身、通訳者としてのデビュー戦は1994年の広島アジア大会なので、スポーツイベントにおける通訳活動には思い入れがあります。でも、口幅ったいようですが、私はあくまで「通訳者」として参加しました。一人でも多くの方が、その肩書で参加できますように。

柴原 智幸

PS
2011年の6月に書いたブログのエントリを、以下に引用しておきます。

***


通翻課程の皆さん

教務課より、技能五輪のボランティア通訳の募集が回ってきました。内容を吟味して、やりたい人はぜひ応募してください。

締切は木曜日の午後5時「厳守」です。

詳しくは添付ファイルを見ていただくとして、日程が後期の第2週にかかります。これは私から「公欠に準ずる扱いにしてください」とお願いを出す予定でいますので、あまり心配しなくて大丈夫だと思います。

最初に一言だけ個人的な考えを言わせてもらうと、確かに柴原は、「教員」という立場からは「ボランティア通訳」の教育効果は大いに認めていますし、大学のスポーツボランティア通訳の研修プログラムに関わっています(パク先生とプログラムの内容について検討したり、今週の水曜日はその研修に講師として登壇したり)。ただ、「通訳業界にいる人間」としては、「ボランティア通訳」という通訳業務のあり方には、個人的に反対です。

「ボランティア」というのは、すでに何らかの技能などを持っている人が、それを無償で提供することなのであって、「技能が一定水準に達していないことの免罪符ではない」と考えているからです。

私がよくするたとえ話なのですが、みなさん、無免許の「ボランティアふぐ調理師」が作ったフグ刺し、食べたいと思いますか?いくら心をこめて一生懸命、全力でフグひき包丁を使ったにしたって、食べた人がひっくり返っちゃ、何にもなりませんよね。要は、そういうことだと思うのですよ。

今回の依頼内容も、本来は、きちんとお金を払ってプロ通訳者を雇うべき水準の仕事だと思っています(もちろん、本当に雇うとしたらあの拘束期間の長さでは数十万単位の料金が発生しますから、現実問題としてボランティア通訳とせざるを得ないのも分かりますし、通訳を通して非常に多くのものが学べる貴重な場であるということも理解してはおりますが、あくまで「通訳業界側」に立った発言だとご理解ください)。

しかしまあ、それはそれ。「頂けるチャンスはがっつり頂く」のも通翻の基本方針です。

何しろ、理事長は「大学で引き受けられないなら、学院に振る」とのお考えだそうで、それを聞いて「なんですとー!!」と思いました。

この案件を引き受けきれなくて話が学院に流れるようじゃ、通翻の名折れですよ、諸君。

そんなわけで、我こそはと思う勇者の立候補を心からお待ちしています。

チャンスです、みなさん。コアメンバーは、今回留学と重なって名乗りを挙げられません!きっと悔し涙を流しているはずです。

うまく行けば毎年の行事にしたいようですが、もしそうなったら、来年の仕事はまず「確実に」留学帰りでパワーアップしたコアメンバーにさらわれます。

今年がチャンスです。今年だけがね。

ただ、私もプロ通訳者の端くれですので、今回の選考は実力一本に絞りたいと思います。

学年も何も関係なし。私から見て「行けるだろう」と思った人を選びます。

私も引率でついて行きたいのですが、1週間以上授業に大穴を開けるわけにもいかないでしょうし、一応お伺いは大学に立ててみますが、まず同行は出来ないでしょう。

知らない土地で、たった1人の戦いとなります。しかし、本来人生ってのは、1人で切り開いて行くものです。生半可な語学留学などより、よほど大きな収穫があることでしょう!

さあ!我こそはと思わん人は、ぜひメールを送ってください!待ってます!

柴原 智幸

***

http://tsuhon.blog.so-net.ne.jp/2011-06-27-2

こんな合宿は? [コラム]

通翻課程のみなさん

以前に何人かとも話したのですが、通訳練習を
伴わない、ひたすら「最近こんな面白いことを
知った!」という学び報告のシェアと、あとは
なんでも良いですけどゲームとか食事をみんなで
作るとか、飲みたい人はまったり飲むとか、そんな
合宿をやってみたいなあ、と思います。

場所はどこでもいいのですが、千葉県は貸別荘が
多いようなので、安い場所で土日でやるのは
どうですか?

ああ、でも、千葉なら金曜日と土曜日でも良いな。

ちなみに、セミナーハウスの長期間は、今の時点では
10月の12,13と空いています。13日は英検ですので、
受ける人もいるでしょうしね。

いやまあ、ゆるーく楽しくをモットーに旧制高校的な
ノリの合宿もやりたいものだな、というお話です。

やりたい人だけで、小ぢんまりやるかな、と。

柴原 智幸

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柴原先生、通翻課程の皆さん

お久しぶりです。椿です。

夏休みが終わって今日からそちらは後期が始まりますね!台風の影響で休講になったと聞いていますが、皆さん大丈夫ですか??

こちらも先週からついに授業が始まりました。

調べていないので他のヨーロッパの大学がどうかはわかりませんが、私が留学しているユバスキュラ大学は授業の開始時期や回数、時間が授業によって全て異なります。

10月から始まって5回しかない授業もあれば、先週から始まって12月までの授業もあります。神田には無いシステムなので最初はすごく驚きました。

また授業開始に伴い早速課題も出て、週末はそれに追われました。

リーディングとライティングの課題なのですが、どちらも文献を読んでそれについて自分でリサーチし、レポートにまとめるというもので、リサーチ能力、情報処理能力などが求められます。これらの能力を向上させると言う意味でも、この間設楽くんが提案してくれたようなイベントはすごく役に立つと思います!今後留学を考えている人にはぜひ参加してほしいです。

先生が企画してくださったプレゼンメインの合宿もすごく面白そうですね!私も留学が終わったらぜひ参加してみたいです。

それでは短くなってしまいましたが、時間があるときにまた少しずつメールします。
お互い頑張りましょう!

椿 花緒里

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椿さん
通翻課程のみなさん

留学、楽しんでいるようですね。また時間のある時に、ぜひ
続報を聞かせてください。

さて、例の合宿ですけれど、特に「留学対策」ってわけではなく、
純粋に「これ、面白い!みんなに聞かせたい」と思ったことを
教員とか学生とかいう枠を取っ払ってシェアしたいなと思った
のがきっかけです。

昔の通翻合宿がそれに近かったのですが、まあちょっと私が
「ちゃんとリサーチして来んかあっ!」と竹刀を持って声を
荒げているような部分はありましたので(1年生諸君、あくまで
もののたとえですよ。本当にそんなものは持ってません)、
今回は本当に「他人に伝えたい!」という思いを持っている、
つまり本来の「学び」をしている者同士が集まれればいいかなと
思ったのです。

要は「解なし学習成果発表会」という趣のものなんですけれどね。
これは、今の日本で教育を受けている限り、かなり行なうのが
難しい種類の「学び」なんじゃないかと思います。

答えがあるものは、みんな一生懸命になるんですけどね、まじめに。
就活とかさ、婚活とかさ、あとはなんですか、最近は離活(離婚活動)
とか、終活(ウィキによれば「人生の終わりのための活動」の略であり、
人間が人生の最期を迎えるにあたって行うべきことを総括したことを
意味する言葉。」とのこと!)なんてものまであるんでしょう?

まあ、そのままでは向き合うことがなかったような問題に、こういう
「活動」をきっかけにして向き合うという意味はあると思うんですよ。


でも、要するにこれ、就職やら結婚やら離婚やら人間の死に方に
一定の「正解」があって、自分もそれをなぞらなきゃって考えの
発露でもあるような気がするんですよ。

そういう、「正解をしっかり押さえる」ということが、生真面目な日本人を
世界でここまで押し上げてきたことは、よく理解しています。でも、
やはり、それはどこまで行っても「解あり学習」であり、枠に自分を
押し込むだけの行為なんじゃないかって感がぬぐえないんですよ。

本来、「学ぶ」ということにも、もう少し広く考えて「生きる」ということにも
正解なんかはなくて、むしろ自分でその正解を作り出していく、つまり
「解なし学習」的なものだったと思うんですけれどね。

まあ、私も高校までの「解あり学習」の考えから脱却できずに大学で
2回も留年を繰り返してますから、あまり偉そうなことを言えた義理では
ないのですが!

本来、学びってもっと伝染的なものだったんじゃないでしょうか?

「おお、これ面白い!あいつにも教えてやろう!なあなあ、知ってるか?」
「へえ!それはすごいな。待てよ、それなら、ここをこうやったら……おおー!」
「なんだなんだ?そうか、それってそういうことだったのか!なるほど!」
……という感じの。

それがね、まあ、自分でもやらかしているので、ホントに偉そうなこと言えない
のですが、教室が「あなた教える人、私学ぶ人」みたいになっているのが
残念なんです。もっとインタラクティブにやってみたいな、と。みんなが考えて
いることも聞いて、そこに良い意味での突っ込みを入れてみたいし、
みんなにも私の考えに対して「こうも考えられますよ?」という突っ込みを入れて
ほしい。

集団として総体として、知的レベルを上げて行ければなあ、と思うのです。

まあ、少々理屈をこねまわしましたが、ようはこんなことを僕は考えていて、
椿さんも書いていたように、そういう「楽しい学び」こそ、海外の大学では
メインになっていて、日本にいるからと言ってそういうことをエンジョイしちゃ
いけないという法律はないわけで、それなら俺たちでやっちゃおうぜ!と、
そういうわけです。

これだけ書いてきて言うのもなんですが、あまり難しく考えず、思い切り
吸収して、それを集まった仲間にぶつけてみて、その反応を楽しんで
みましょうよ、ということですね。

柴原 智幸

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先生

小野尾です。

是非やりたいです。

たまにはそういう合宿も良いと思います。

参加します。

小野尾  

PS
先生、きっと「1年生諸君」ではなく「2年生諸君」だと思います(笑)

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おう、小野尾君、食いついて来てくれてありがとう!

あ、そうか、1年生はいないもんなあ、今年から……。(遠い目)

柴原

「でも、やるんだよ!​」かあ…… [コラム]

通翻課程のみなさん

今日は大学は休講でしょうね。明日に備えて
英気を養っている頃と思います。

さて、どうということはない話なのですが、
先ほど、とある短歌に出会いまして、
個人的にかなり衝撃を受けたので
ご紹介しておきます。

枡野浩一さんという歌人の歌です。

***

無駄だろう?意味ないだろう?馬鹿だろう?
今さらだろう?でもやるんだよ!

***

有名な一首なのかもしれませんが、私は
今日知りました。取り急ぎシェアです。

柴原 智幸

通訳を行なうにあたっての心構え [コラム]

卒業生であり、昨年の名古屋外語大の通訳コンテストで全国3位に入賞した小野尾君が、「通訳を行なうにあたっての心構え」を通翻課程MLでシェアしてくれました。

だいぶ日程が経ってしまってすみませんが、これもブログでさらにシェアします。私の伝えたことを実によく理解している一方で、小野尾君独自の工夫も随所に見られる、非常に良い指針だと思います。これぞ出藍の誉れですね。

小野尾君は先日、実際に通訳を行なう機会があって、大分もまれたようです。いろいろあると思いますが、通訳を取り巻く環境自体が刻々と厳しいものになっているのは間違いありません。

しかし、大切なものはそうは変化しないものです。みんなで一緒に頑張りましょう。

柴原 智幸

**********

みなさんこんばんは。
小野尾です。

今日は諸事情で書いた「通訳の心構え」を皆さんにシェアしたいと思います。

通訳をこれから勉強する学生向けに、簡潔に書いたものです。

短いので、もし何かあればレスポンスいただけるとありがたいです!

***

「通訳を行うにあたっての心構え」

1 通訳とは

オリジナルのメッセージを正確にくみ取り、それを別の言語で効果的に再表現すること

・英語と日本語の通訳の場合、「オリジナルのメッセージ」と「別の言語」が日本語⇔英語になる。

・「正確にくみ取る」とは「正しく理解する」ことである。

・「効果的に」は「わかりやすく」になる。

・「再表現する」とあるが、通訳は言語の置き換えではないので、「再表現」という言葉を使っている。

2 「お役に立てるか」がポイント

・通訳はサービス業であるため、「人のお役に立つ」ことをしっかりと考えていかなければならない。

3 堂々と通訳する

・一番大切なことは、声を大きくはっきりと出すことである。ボソボソ話すのは厳禁。

・自信を持つことが大事である。センテンスの最後を?の形で終わらせない。自分の通訳が聴衆にとってスピーカーの発言を理解する唯一のものだということを理解する。自信なさげに通訳をすると、聴衆が不安になりスピーカー・オーディエンス間のコミュニケーションを妨げてしまう。
→「通訳者はコミュニケーションの架け橋」

5 ノイズを入れない

・通訳をする前、もしくは通訳の間に「あ~」などのノイズをできるだけ入れないようにする。
→聴衆にスピーカーが話している内容が伝わりにくくなってしまうため

6 くだけた表現・省略語を使わない

・英会話の中では、you knowやlike、gonnaなどを使う場合があるが、通訳時は絶対に入れない。

7 「相手が何を言いたいのか」を意識する

・通訳では、細かい箇所も基本通訳をしなくてはいけないが、一番大切なのは「相手が何を言いたいのか」ということである。ワンワードにこだわらず「全体像」を見ること。

8 verbalな部分だけでなく、non-verbalな部分もくみ取る

・先にも述べたが、通訳は言語の置き換えではない。そして「相手が何を言いたいのか」を意識しなくてはならない。したがって、言語的な部分だけでなく、声のトーンや言葉使い、声の大小などにも意識してスピーカーの気持ちをくみ取れるよう意識しながら通訳を行うように心がける。

9 通訳で重要な3つの基礎体力(英語⇔日本語通訳の場合)

日本語力・英語力・知識量

・使用言語である日本語・英語の力が高くなければ通訳はできない。しかし、それだけではなく知識量も非常に大切な部分である。自分の全く知らない分野を日本語もしくは英語で聞いた場合、単語はたとえ全て拾えたとしても内容が頭に入ってこないはずである。内容が自分の頭に入ってこないのに、別の言語でリスナーにわかりやすく伝えることは不可能である。したがって、普段からさまざまな分野の知識を貪欲に吸収し、どんな内容の通訳にも対応できるようにする心構えが大切である。

また、あるスピーチで多少自分の知らない単語がでてきた場合でも、知識があり、内容がわかっている場合は話を予測できるため、言語能力不足を補うことができる。

10 通訳者はピアニスト?

・ピアニストは右手だけ器用でもピアノを弾くことはできない。両手が器用でもピアノはまだ弾けない。両手が器用であり、かつピアノを弾くためのトレーニングをつみ、それを弾くにあたっての心構えを持っているものがピアニストになることができる。したがって、日ごろから日本語力・英語力・知識量の向上を図るとともに、トレーニングを積むこと、さらには「通訳とは」を問い続けることが大切である。

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Dear, Mr. Onoo
T&I fellows

My first impression was that "These 10 points are ‘the basic of basics’".
Each and every one of us has already been taught this by Professor Shibahara, and you may think it’s only a "re-run" of what Professor has told us. I dare say, however, basics are most precious treasure. We must note the 10 advices on our heart firmly and, must go back to the basics anytime.

P.S.
When you find mistakes in my English, do let me know.

Cordially,
Ryuichi Shitara

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Hello, Shitara-kun and T&I members

As you mentioned, it is necessary for us, at some stage, to reconsider and tell what we have learned if we could succeed in corroborating what Professor Shibahara explained.

I have studied interpreting and translating for more than four years, and this time I gained the chance of mentioning my interpreting experiences and the notion of what is interpreting to my friend.

I thought this is a good opportunity to broach the topic of basic notion and share what I am thinking when it comes to interpreting.

Furthermore, explaining something to the amateur is one of the most important and difficult things, so I tried to describe what is interpreting briefly and comprehensibly.

I hope I could get straight to the point and you think my paper is beneficial for the students who have not interpret yet.

Kohei Onoo

近江アカデミー体験授業の様子です [コラム]

今年の2月に、名古屋の近江アカデミーで、近江誠先生にみっちり鍛えていただきました。その様子がアカデミーのサイトにアップされています。

いやあ、この動画を見ていると、当日の知的興奮がよみがえりますね。実に楽しかったです。

近江先生の指導にアップアップになる柴原を見てニヤニヤするもよし、近江メソッドの深淵をのぞいて深く肯くもよし、どうぞご覧ください。

上は40分ほどの動画、下は12分ほどの動画です。

中学校の教科書を使った指導(短い動画の方です)は、すぐにでも授業で使えるなあと思いました。

通翻のみんな、夏休みあたり、一度「名古屋詣で」に行きませんか?目からウロコだと思いますよ。
(そして、帰りには手羽先で一杯やりながら、みっちり反省会もしましょう!笑)

近江アカデミーへのリンクは、以下の通りです。
http://omi-academy.com/

柴原 智幸




「型」としての「文法訳読」方式 [コラム]

春風亭昇太さんが出演している劇を見に行った。昇太さんは実に芸達者な方で、演じたり歌ったり踊ったりと多芸ぶりを拝見した。しかし、やはり出色の出来だったのは、劇中劇で落語家として語った「小噺」。

「語り」の次元が違った気がした。昇太さんだけの力ではなく、江戸の庶民の語り口とか、落語が連綿と受け継いできたものの後押しを感じる。

決して昇太さんが力不足だなどと言っているのではない。そうではなくて、その背後にある「伝統」というか、「型」のようなものの力を感じた。それによって、もともと高い「語り」のレベルが、さらに高いものになっていると感じたのだ。

力のない人はそれなりに、力のある人でもさらなる高みに。「伝統」とか「型」とかいうものは、そうやって人の能力を引き上げる力があるのではないかと思う。

たとえば英語教育において、「文法訳読」は「型」のような役割を果たしていたのではないか。

「型」というと以前習っていた空手を思い出すが、フルコンタクトの流派だったので、普段の稽古では直接突き蹴りを叩きこみあうことが多く、型はほとんど練習しない。しかし、昇段・昇級試験では必ず型の審査があった。

確かに「型」だけでは実戦には対応できないのかもしれない。しかし、私のように運動が大の苦手だった人間でも、型の稽古を通して能力を引き上げてもらったという実感はあるし、黒帯の先輩方に伺っても、「新たにいろいろ見えてくるものがあって、型の稽古への興味は尽きない」ということだった。

文法訳読だけで英語「全体」には対応できない。それは当たり前のことだ。しかし、だからと言って完全に文法訳読を捨ててしまうのは、貴重な「型」、英語教育が培ってきた「伝統」を、あっさり捨ててしまうことにつながるのではないか。とても便利で、有効な「型」であり「伝統」であるのに。使わない手はないのに。

高校での「オールイングリッシュ」化など、英語で英語を教えるという非効率な(個人的にはそう思う)英語教育が広がりつつある今だからこそ、通訳・翻訳教育を通して、「文法訳読」の良い面を、英語教育に残して行こうと思っている。

本来、新たな指導法が導入されることは、それ以前の指導法の全否定には必ずしもつながらないはずだ。お互いの良いところを取り、短所を補い合ってアウフヘーベンしていくのが理想だと思う。

「オールイングリッシュは『法律だ』」という文科省関係者もいらっしゃると聞いたが、現場からそっぽを向かれては教育改革も何もあるまい、と思うのだが。

いかに巻き込んでいくか。教育も、教育改革も、基本は一緒だ。

そしてその効果的なツールとして、「型」的なものの存在は重視していくべきだと考えている。

英訳マンガ、面白いですよ [コラム]

わざわざ深刻にカミングアウトするほどのことでもないんですが、マンガが好きでして。

それで、留学中に日本のマンガやアニメが英訳されていることを知りまして、読んだり見たりしては、表現をノートに書きつけていました。中学・高校の頃に夢中になって読んだ「めぞん一刻」とか、偉大なマンネリ化するまでは好きだった、初期の頃の「ああっ女神さまっ」とか。BBCに勤め始めてから「エヴァンゲリオン」も吹き替えで見たのですが、あの作品だけは、いまだに日本語で見てないですね。

ま、それはともかく、ある程度の英語力がある方で、マンガやアニメが好きならば、英語版マンガや英語版アニメを使っていろんな表現を拾わない手はないのでは、と思うのです。でも、意外とメジャーになっていませんね、このやり方は。良いと思うんだけどなあ。大学のSALCにも、英語版のマンガがあったし。

特に「日本語→英語」の参考になるところが良いですね。大好きな作品ならなおの事、好きなセリフを「おおっ!こう訳すかあ!なるほどおっ!」と思いながら、のめり込んで読めること請け合いです。そして、そうやってインプットした英語って、使ってみたくなるんですよ。実際使ってみると、「斬れる」英語であることが多いので、ネイティブにも「おっ!?なかなかやるな?」って表情をしてもらえたりして。もちろんシチュエーションを間違えて大笑いされることもあるのですが、それはそれで語感を養う上で参考になるのです。

……てなことをこんな時間に唐突にブログで書いているのは、例によって原稿が書けずにのたうちまわっているからでして……。先日、今書いている原稿とは別の原稿で、英訳マンガについて触れたのをちょっと思い出して、「15分だけ!」と自分に言い聞かせて読んでおりました。

先日の原稿用に抜き書きした資料から、一部抜粋します。

***********

「坊ちゃんの時代」より

***

西洋をただ真似ようたって そうはいかねえさ
They're just trying to imitate the west, but they're not going anywhere.

だいいち 真似たところで どうもなりゃしない
In the first place, we may be copying it, but it's not going to do us any good.

***

古い日本を お好きだとおっしゃる
You say you love the old Japan.

個人の御趣味としては結構
At a personal level, that's fine.

しかしわれわれ日本人は あなたが愛しておられる古い殻を脱ぎ捨て 欧州に伍していくために 日夜努力しておるのです

But we Japanese are working very hard day and night to shed this old shell that you love so much and to be on a par with the European nations.

***

「図書館戦争」より

***

憧れてる人が図書隊にいるんです いつか会えたらあなたを追いかけてここに来ましたっていうんです だからこんなところで辞めません
There’s someone I aspire to be like. Someday when I see him again, I want to tell him that he inspired me. So I’m not going to give up just yet.

勝手にしろ!!
Do what you want!!

はいっ ありがとうございます 勝手にします
Sir. Thank you for your advice. I’ll do that.

***

あんた そんな奴じゃ ないでしょう!?
Is this who you are? I don't think so!

男だったら やなこと いつまでも 溜めこんでんな!
Don't keep stuff bottled up!

発散してこい 発散んん!!
Let it out like a man!

ケンカで発散 したけりゃ あたしがいつでも 相手になってやる
If you need to work it off, well, I'm here.

かかってこいやあ!!!
Bring it on!

***

俺が迎えに 来たかったのは 俺の勝手だ
It was my choice to come get you.

今のお前を 心配して当然だ 文句あるか
Of course I was worried about you. Do you have a problem with that?

**********

良い時代になったもので、英訳版もネットで簡単に購入できます。私はアマゾンUKを使ってますが、アメリカの方がマンガのラインナップはすごいですよ。Enjoy!

柴原 智幸

PS

さーてと、それでは仕事に戻りますか。よっこらせっと。

松下佳成さん [コラム]

昨年、アルクのヒアリングマラソン30周年パーティーで、バイクレーサーの松下佳成さんと知り合いました。ライターのイシコさんのご紹介だったように記憶しています。

その松下さんが、5月27日、イギリス・マン島のレースで練習中に事故に遭い、亡くなられました。本日、葬儀が行われるということです。

http://44ma2.com/

同年代で、しかもすぐ近くにお住まいなので親近感を抱いていただけに、非常にショックでした。

通訳をやっていて職に殉ずるということはあまりないのですが、そういう覚悟を持って通訳ブースや教壇に立たないといけないな、と思っています。

心からご冥福をお祈りいたします。

柴原 智幸

PS

ついつい自分は死なないような気になって日々を過ごしていますが、メメント・モリですね。常に完全燃焼をしなければ。

……などと言う時に限って、不完全燃焼が続いていて、自分でもイライラしているのですけれども。

2013年6月 パーティー [コラム]

あっという間に数週間たってしまいましたが、先日拙宅で行われたパーティーの写真をアップしておきます。

来てくれた皆さん、ありがとうございました!

柴原 智幸

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<子供たちも、ウノにあやとりにピアノにと、お兄さんお姉さんたちにたっぷり遊んでいただきました>
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<すまん、ピンボケだ!>
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<昨年の暮れにニトリで買ったソファは、相変わらず大人気ですね>
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<英語基礎演習クラスを履修している1年生のみなさん>
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<こんな感じで昼過ぎから22時過ぎまでワイワイと。卒業したばかりの野口君も、駆けつけてくれました!>
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<妻が通訳学校で担当している生徒さん(セミプロ)もいらっしゃいました>
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<学生たちも、貴重なお話がいろいろ聞けたようです>
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<夜になっても通翻の連中は元気です。特に大平さん。そのポーズは一体?飲みが足らんかな>
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「森ガール」の謎 [コラム]

先日のメディア・イングリッシュの授業中、どういう文脈だったか忘れたが、「森ガール」という言葉が飛び出した。で、その言葉を巡ってクラスの女性陣と珍妙なやり取りをする羽目に。

柴原   「森……ガール?」

女性陣 「そうそう」

柴原   「あっ!えーとね、ちょっと分かって来たぞ。『山ガール』っていうのは山が好きな女性だから、『森ガール』は、森が好きなの?」

女性陣 大爆笑。

んー、良い推理だと思ったんだけどな。方法論が正しくても正しい結論を導けるとは限らんってことか。いやいや、この場合、方法論的にも正しかったのかどうか。

女性陣 (笑いつつ)「そうじゃなくって、森っぽいって言うか……」

柴原   「森っ……ぽい???いやー、先日のパーティーで聞いた『ゴスロリ』も、まだ十分理解しとらんからなあ」

女性陣 大爆笑。

うーむ、君ら、傷つきやすいおぢさんの心を的確にえぐってくるのう。

しかーし!我らがおっさん族の強い味方、ウィキペディアがある!検索して理解してくれるわ!……と思って、先ほど調べてみた。

<引用ここから>

森ガール(もりガール)とは、ファンタスティックな文脈で「森にいそうな女の子」をテーマとする、ゆるく雰囲気のあるモノを好む少女趣味のありよう、またはそのようなファッションスタイルである。

<引用ここまで>

あー、なるほどなるほど。「ファンタスティックな文脈で『森にいそうな女の子』」ね。なーんだ、そうかそうか。

……って、全然分からんわッ!!

頼むからもっと中年男性フレンドリーな言葉が流行らんものか。(遠い目)

息子のインタビューに本気で答えてみた [コラム]

小学校6年生の息子が、「家の人の仕事について調べよう」というインタビューの宿題をもらってきた。

ご指名があったので、本気で答えてみた。以下、息子のインタビューメモから極力原文通り転載する。

*****

1)どんな仕事をしているのかな?

・大学で教えている
・NHKで通訳
・ディスカバリーチャンネルで翻訳
・ラジオ講座をしている

2)その仕事は、どんなことをしているのかな?

①大学では、通やくと英語を教えている
②NHKでは外国のニュースを日本語につうやくしている
③ディスカバリーチャンネルでは外国のドキュメンタリーを、日本語にして声ゆうさんが読めるようにする
④ラジオ講座では英語のリスニングを通して、英語そのものをどう学ぶか、さらにどのように教養を身につけるか話している
⑤話し言葉を使い、外国語を日本語にする……つうやく
  書き言葉を使い、外国語を日本語にする……本やく

3)その仕事をしていて、よかったことや大変だったことについて聞いてみよう。

*よかったこと

・他の人がいろいろなことを知るための手助けができること
・学生のみなさんやしちょう者のみなさんにかんしゃされたこと
(ほめられるとのびるタイプだそうです)

*大変だったこと

・力不足でお役にたてなかったとき
・こちらの考えがなかなか伝わらないとき

4)将来に向けてのアドバイスを家の人からもらおう。

 世の中には知らなくていいことは一つもない。ときには、知ってつらくなるようなこともきちんと知って、そして深く考え、さらに何らかの行動に移してゆかなければなりません。ただ、考えがかたよってはいけないので、学校で習うことを、まずしっかり身につける。その上で、先生や友だちと意見を交かんしながら、自分なりの考えをつくり上げていって下さい。

5)まとめ、感想を書こう。

 お父さんは、いろいろな仕事をしていて、たくさん、人の役に立つような仕事をしている人だなと思いました。きちんとした将来にむけてのアドバイスももらえたのでうれしかったです。

*****

インタビューを受けつつ、好きな短歌を思い浮かべていた。

***

父として幼き者は見上げ居り ねがわくは金色の獅子とうつれよ

佐佐木幸綱

***

ついこの間まで「幼き者」だった息子も、来年は中学1年生。正面からじっくり話ができる日もそう遠くはないに違いない。

その日が訪れることを楽しみにしているし、息子が等身大の父を見ることが出来るようになった後も、恥ずかしくないような生き方をしていきたいものだ、としみじみ思う。

柴原 智幸

ホリエモンからの挑戦状 [コラム]

昨日家族と一緒に「県庁おもてなし課」を見に行って、昼食をとり、4人で書店へ。30分ほどあれこれ本を読んでいたのですが、ある本のタイトルが目に入りました。

「金持ちになる方法はあるけれど、金持ちになって君はどうするの?」

最近出所してちょっと話題のホリエモン(げっ、一発変換できるんだ)の本です。

まだ買っていないですし読んでいないのですけれど、この題名には「やられた」と思いました。「金持ちになる」を「英語力をつける」と読み替えてみると、そのまんま私が教壇で良く感じていることです。

現在の日本ほど、英語学習にうってつけの国もないでしょう。いろんな先生方が、実に効果的な英語学習法を提示しています。

後はやるだけ。でもやらない。やれない。つまりそれは、本心から英語が必要ではないからでは?と思ってしまうことがあるんですよね。

就職とか昇進とか、そういう目先の話ではない、もっと遠大な「目標」が、英語学習にあるのかなあ、と。それがないから、やらないしやれないんじゃないかなあ、と。

ホリエモンにしても、これは私の想像ですが、金儲けの方法論が分かっちゃって分かっちゃって仕方ないんでしょう。

「何でみんな同じことがやれないの?でも、そもそも『やれない』んじゃなくて、『やらない』んでしょう?金儲けの目的がはっきりしていないから」ということを言うのがこの本の目的……かどうかは、未読なので分かりませんが、勝手に「ホリエモンから挑戦状を突きつけられた」と感じています。

英語を学ぶ上で、たまにはHowではなくWhyの部分を問い直してみる必要性があるのではないでしょうか。

PS
本は買って読む予定です。ひょっとしたら、ホリエモン氏が金儲けを支える精神的柱の部分を分かりやすく解き明かす、心温まる著作という可能性もありますしね。それはそれで、英語学習に応用できるかな、と。

ブリティッシュ・ヒルズに行ってきました! [コラム]

<単なる旅行記というか、アルバムみたいなものです。通訳や英語関連の話は全くありませんので、ご了承ください>

3月に妻のご両親、私の両親&柴原家4人で箱根に行ったのですが、「また3世代で旅行したいね」という話になり、せっかく大学から利用券が2人分支給されるので、福島県にあるブリティッシュ・ヒルズに行ってきました。

私も授業の準備やら学生の英文添削やらNHKの原稿に台本やら、アルク関連の原稿やら、書いていて冷や汗が出て来ましたが、とにかく諸々の仕事はあったものの、申し訳ないですがいったんすべてストップして、1日半、イギリスの雰囲気に浸ることにしました。

http://www.british-hills.co.jp/

大学院時代からBBC時代まで、何年かイギリスに住んでいたこともあって、個人的にはとても好きな施設です。妻も小さい頃に一家でイギリスで暮らしていた帰国子女なので、3年ほど前の10月終わりに、3家族8人で行って楽しんだこともあります。あの時は雪が舞う中を歩いたりして、幻想的な美しさでしたね。今回は、妻のご両親はすでにスケジュールが入っているということで、私の一家4人と私の両親の6人で行くことになりました。

<最寄駅にて。このあと新幹線に乗り換えて、わずか1時間ほどで新白河到着です>
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新白河からはブリティッシュ・ヒルズのシャトルバスに乗り込んで、新緑の山中を揺られること40分。疲れが出てグーグー寝ているうちに、バスはすでにブリティッシュ・ヒルズの敷地内でした。イギリスと同じ道路標識が立っています。

まずはマナーハウスでチェックイン。下の写真はフロント前の一角。冬は暖炉が燃えていて、非常に雰囲気が良い場所です。

<こんなところが「居間」だったら良いねえ、と話す面々>
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お昼も近いので、ティールーム「アスコット」に向かうことにしました。ここでは本格的なアフタヌーンティーやハイティーが楽しめるほか、美味しい軽食もいただけます。

<入り口そばの電話ボックスが珍しい子供たち。携帯電話の普及で、イギリスでもこういうボックスはとんと見なくなりましたね>
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<屋内も良い雰囲気なのですが、天気も良いことですし、テラスで食べることにしました>
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<テラスからの風景。本当にイギリス、特にスコットランドのような雰囲気ですね>
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<植物好きの母と、元気を持て余している息子は、テラスを降りて庭を散策>
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<妻も楽しそうです>
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<昼食の風景。どれもおいしかったです>
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昼食を食べ終えたあたりで、何とブリティッシュ・ヒルズの森支配人がご挨拶にいらっしゃいました。出発前日に私の研究室で、ブリティッシュ・ヒルズの研修担当の方と研修案などについてお話したので、その方からご連絡が行ったのでしょうね。

お忙しいでしょうに、完成したばかりの「バラック」という宿泊施設をご案内して下さいました。

<「バラック」とは英語で「兵舎」。コンセプトとしては、ブリティッシュ・ヒルズを守備する人が寝泊りする場所、のような感じだそうです。新しくてきれいでした>
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<教室。パブリックスクールみたいな雰囲気です>
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<何と、普段は入れない屋上まで連れて行ってくださいました。屋上からの眺めは最高で、風力発電の風車や会津磐梯山も遠くに望めました>
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<「バラック」だけに、大砲があるということで。どちらに向けるのかに結構頭を悩ましたのだとか。そりゃ、マナーハウスの方に向けるわけにもいきませんしね。結局、入り口の方をにらんでおります。ブリティッシュ・ヒルズの守り神、というところでしょうか>
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<年齢を問わず、のんびりと楽しめる場所です>
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<天気も良くて、どちらにカメラを向けても絵になります>
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<我が家のクイーンとプリンセス(笑)>
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ブリティッシュ・ヒルズの施設で何が好きと言って、マナーハウス2階のライブラリーほど好きな場所はありません。エレファント・ラダーは鉄板ネタですね(それが何かは、行ってみてのお楽しみです)。置いてある本も、良く見てみると面白い品ぞろえで、何より雰囲気が良い。ヒギンズ教授とイライザが入って来そうな感じです。

<自宅のようにくつろぐ面々>
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<こういう一角が自宅にあれば、と思いますが、ここにくることで満喫できるわけですからね。楽しいです>
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<この長テーブルのある部屋は、何かのドラマでロケに使われたのだそうです。通翻課程のオリエンテーション・キャンプの時は、英文を暗唱する宿題を出して、このテーブルに全員着席して順番に暗唱したり、日本語の詩を朗読したりしました。あれも楽しかったなあ>
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<くつろぐThe Shibaharas>
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<これは、どうやら大正時代ぐらいの英文百科事典です。日本についての記述を読んでいるところ。面白いです>
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2階にはクイーンズ・ルームとキングズ・ルームもあります。これも実に豪華です。オリエンテーション・キャンプの引率に来たときは、学生たちが英語プログラムを受けている時間はやることがないので、キングズ・ルームの大きなデスクで本を読むのを楽しみにしております。

<キングズ・ルームのソファーに座る柴原家の女帝たち(笑)>
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<キングズ・ルームの執務机に陣取る息子>
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<2階の見学が終わった後は、会談で記念写真。逆光で申し訳ないですが>
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さて、書き忘れていましたが、フロントにいた女性は、何と私が神田に着任した年に、私のメディア・イングリッシュの授業を受講していた五十嵐さんでした。あれこれ話していると、今日の15時から、ネイチャー・トレイル・ウォークがあるとのこと。神田外語大学の生物学の先生が、解説を担当して下さるそうです。

……ん?神田外語大学?生物学?

「ひょっとして、飯島先生ですか?」
「あれ、御存じなんですか?」
「えー!ご存知も何も……」

というわけで、「飯島先生の話は絶対面白いから、みんなで参加しよう!」と残り5人を説得し、参加の運びとなりました。

それにしても、まだ1時間半ほどあります。そこで、体育館で卓球とバドミントンをすることにしました。借りるときはネイティブのスタッフに息子が英語でお願いしたところ、無事ラケットとボールとシャトルを借りられました。こういう形で、自然に英語を使う機会があるというのは良いですね。

父はそこそこ卓球が上手く、娘と母と一緒に卓球台を占拠。一方私と妻と息子はバドミントンに興じます。

<体育館は我々で貸切状態でした。贅沢ですねえ>
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息子は私に似ず運動が得意なのですが、そこはさすがに小学生。運動神経皆無の私と良い勝負です。問題は妻。実は、高校時代、バドミントン部の副主将だったのです!

<容赦なく打ちこまれるシャトルに、防戦一方の私。一方、生き生きと夫を叩きのめす妻!>
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部屋への入室は15時からということで、いったん部屋に向かいます。フロントで預けた荷物も搬入されており、下着などを着替えてからネイチャー・トレイル・ウォークに参加しました。

<白い服の女性が飯島先生です>
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<これ、何だと思いますか?何とフキノトウのなれの果てだそうです>
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<躊躇なく地面に膝をつくあたりに、生物学者としての姿勢を見る思いですね>
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つる性植物のお話を聞いたり、植物の同定の難しさを伺ったり、生物学者がゴルフコースをどう見るかという話が飛び出たりで、90分間があっという間でした。それにしても、「もみじ」という植物があるのではなく、カエデの総称として「もみじ」というのだという話は目からうろこでしたね。展望台から見た羽鳥湖もきれいでした。

息子があれこれ質問したことにも楽しそうにお答えいただき、目も耳も頭も大満足のひと時でした。誰かが大好きなことについて話すのに耳を傾けるというのは、実に有意義で楽しいことです。せっかく飯島先生という得難い人材がいらっしゃって、ブリティッシュ・ヒルズ近辺でフィールドワークをなさっているわけですから、こんな機会がもっとたくさんあると良いなあと思いました。

さて、イエ・ショップでお土産などを買ってから、私と息子は体育館の階下にあるプールに行きました。これまた空いておりまして、というか、私と息子でジャクジーも広いプールも貸切でした!たっぷり泳ぎましたが、スイミングスクールで鍛えている息子に、ことごとく競り負けたのが悔しいやら嬉しいやら。

部屋に戻って身支度を整え、18時からフォルスタッフ・パブで夕食です。以前に来たときにはリフェクトリーで食べたのですが、今回はカジュアルに楽しもうということで、最初からパブ飯です。個人的には、そのまま飲み会になだれ込めるのが好都合だったりします。

部屋に備え付けのコートを着るほど寒くはなかったのですが、やはり着てみたい、というわけで、こんな格好でパブに向かいました。
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パブに到着する前、マナーハウスの先にあるラウンドアバウトで、大きな車とすれ違います。すると、突然停車する車。窓が開いて中から声をかけて下さったのは、英米語学科の矢頭先生でした!今日のブリティッシュ・ヒルズ、神田外語大学の比率が急上昇しております。

さて、そうこうするうちにパブに着きました。スタッフの方々と英語でやり取りしながらの夕食は、実に楽しかったです。久しぶりにイギリスビールを味わい、さらに留学時代のことを思い出しながらサイダー(リンゴ酒)を飲みました。

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ちなみに、サイダーは値段の割にアルコール度数が高いので、留学時代に酒好きの友人とよく飲んでいたんですよ。

3リットル入りの、爆弾みたいに大きなペットボトルがありまして、それを肩に担いで通訳翻訳コースの友人の寮まで行き、「おーい、飲もうぜー!」と言って飲みはじめ、「俺たちこれから、一体どうなっちゃうんだ!本当に通訳になれんのか!?」などと騒ぎながら2人で全部飲み干したりしていましたっけねえ。その友人は、現在携帯電話会社の社内通訳者として活躍中です。

ちなみに娘がこのクッションを見て曰く。「これ誰?SMAP?」
<ファンに怒られるよ>
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<本日のメニュー。どれもおいしかったです。追加でサラダも作っていただきましたし、息子はchipsを英語で注文出来て嬉しかったようです。お世話になりました!>
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夕食の後は、パブに移動してさらにビールを飲みます。子供たちは21時過ぎまで、リフレッシュルームで無料で貸し出されているゲーム(ジェンガなどいろいろあったそうです)で遊んでいました。これはまあ、ちょっとイギリスではできないことですね。日本ならではです。21時をちょっと回ったあたりでお開きにしました。

ハウスの2階にあるラウンジを見せたくて、みんなでそこでお茶を飲むことにしました。息子は、置いてあったシャーロック・ホームズの本(日本語です)にさっそく夢中になって、おしゃべりもそこそこに、スタンドの下で読んでいましたね。

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だいぶ夜更かしをしてしまったので、サッとお風呂に入って寝ることにします。

<いや、娘よ、眠いのは分かるが、この脱ぎっぷりはどうかと……>
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明けて日曜日。朝食をとってしばらくのんびりしたら出発です。

部屋の写真を撮り忘れてしまったのですが、相変わらずの居心地の良さでした。1週間ぐらい泊まって、のんびり本を読んだり考え事をしたりしたいです。

<本来ツインなのですが、真ん中にエクストラ・ベッドを入れてもらって娘が寝ました。息子はおじいちゃん&おばあちゃんの部屋です>
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<コーヒー、紅茶なども充実。オリジナルブレンドの紅茶がおいしいです>
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<朝食に向かいます>
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朝食はリフェクトリーでした。バイキング形式で、子供たちは大喜びです。飯島先生、矢頭先生もいらっしゃって、ご挨拶をしました。
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のんびり朝食を食べても9時前。11時のシャトルバスですので、まだ結構時間があります。父と母は荷作りのために自室に戻ります。

……で、我々4人は、また卓球&バドミントン大会です。着替えがないっちゅーに!でも、実に楽しかったですね。
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10時にチェックアウトした後は、子供たちはまたリフレッシュ・ルームのゲームで遊びに行き、妻は手紙書き、私はキングズ・ルームの執務机で読書です。

ただ、途中で両親が上がってきて、3人であれこれ話しておりました。机の上にある2冊の本のうち、左側が私が持ち込んだものです。The Thames and Iという、浩宮様の留学記の英訳版。これがとても面白いんですよ。それをあの雰囲気の中で読むのですから、実に楽しいひと時でした。
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やがて時間が来て、子供たちを迎えに行きます。
<楽しそうに遊んでいました>
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スタッフの皆さんに見送られて、シャトルバスは一路新白河駅へ。車中駅弁を買って、みんなで食べました。久々にのんびりした休日で、実質的に1日半の長さだったとは思えない充実感でした。
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次は英語プログラムなども体験したいですね。スヌーカーに挑戦してみるのも面白いかもしれません。

夕餉の会話 [コラム]

通訳者というのは、おしゃべりが多い。ご多分に漏れず妻も私もそうなわけで、しかも息子も娘もその血を色濃く受け継いでいる。そんな事情があり、我が家の食卓は会話の戦場と化すのが日常的な風景である。

親子と言えど雑談のことは別。会話力なきもの語るべからず、という勢いで、親も大人げなく会話の主導権を子どもから力尽くで奪っていく。

そんな中で、時として一座を唖然とさせて自分のペースに持ち込むのが、「社長」こと娘だ。

本日の「社長語録」を記しておきたい。

*****

社長 「あのさあ、お母さんと私って、どういう関係になるのかな?」
柴原 「……お、親子なんじゃないの?」
社長 「だって、すっごく似てるんだよ?」
柴原 「そりゃまあ、血がつながってるからね」

一体に何にそんな深い疑問を抱いたというのだ、君は。

***

社長 「この間、お店で電子手帳があって、スケジュールを入力できるのね」
柴原 「ほほう」
社長 「だから、14時から15時って指定して、そこに『つくだに』って入力しちゃった」
柴原 「……1時間『つくだに』をやるのか……。シュールな予定だなあ」

***

妻  「中国の食べ物、みんなは何が好き?」
息子 「餃子とか、シューマイとか……」
社長 「あっ、私は、『中華料理』!」
一同 「…………」

*******

ちなみに、妻は妻で面白い発言をかますことが多々あり、「この母にしてこの娘あり」という感じだ。

たとえば……

妻  「何これ?道頓堀タワー?」
柴原 「んなもんあるかー!通天閣だよっ!」

妻 (福岡出張で柴原が買ってきたお土産「博多の女」を見て)「あ、『ハカタのオンナ』だ!」
柴原 「2号さんかーい!」

妻  「あのさあ、味付けの『さしすせそ』って、砂糖、塩、酢、醤油と……あとソースだっけ?」
息子 「みそだよっ!」

妻  「トランペットって、歌って音を出すの?」
柴原  「そんなわけないでしょーっ!唇の振動を音にしてるの!(元吹奏楽部テューバ担当)」

妻  「あれ、何だっけ。座禅の時に叩くのに使うやつ。薪(まき)?」
息子 「死んじゃう死んじゃう!」

妻  「日本三大百景」
息子 「どっちなの、おかあさん!?」

妻  「PL法って言えばさ、あれがあったじゃない。電子レンジを猫に入れちゃったっていう……」
柴原 「……なあ、それって、電子レンジ『に』猫『を』入れちゃうんじゃなくて?」

*******

まあ、そんな柴原家であります。今後ともどうぞよろしく。

柴原 智幸


年齢と出身地だけがセールスポイントの議員候補というのもなあ。 [コラム]

自宅で原稿をガリガリと書いていたのだが、選挙カーがうるさいことうるさいこと。窓を開けていたとはいえ、家の中で妻と会話をするのに支障が出るレベルというのは、勘弁してほしい。

たまりかねた妻が、選挙事務所に電話をしてボリュームを下げるようにお願いしたが、変化と言えるほどの変化もなし。

アナウンス内容も、多少は面白味があればまだ救いもあろうというものだが……

「○○でございます!地元××出身、△△歳!手を振ってのご声援、ありがとうございます!○○でございます!地元××出身、△△歳!手を振ってのご声援、ありがとうございます!○○でございます!地元××出身、△△歳!手を振ってのご声援、ありがとうございます!○○でございます!地元××出身、△△歳!手を振ってのご声援、ありがとうございます!○○でございます!地元××出身、△△歳!手を振ってのご声援、ありがとうございます!○○でございます!地元××出身、△△歳!手を振ってのご声援、ありがとうございます!」

とエンドレスで連呼された日には、「どこの阿呆だ、手なんか振ってるのは!」とベランダに出て確かめてしまった。昼下がりで無人の住宅街を大音響のアナウンスと共に悠々と進む選挙カー以外、人影は見えなかったが。

スピーカーが音割れを起こすほどの音量だったから、お昼を食べてようやく寝付いた赤ちゃんや幼児も飛び起きたことだろう。子供たちにとって、「選挙の必要悪」なんてものは理解の埒外のはず。かわいそうに。

あれで「子育てに配慮した行政を」とか「子育てにやさしい街を」とか寝言を言うのではあるまいな?

子どもたちによれば、小学校でも授業に支障が出るほどのうるささだったということだ。

そこまで迷惑をまき散らしておいて、連呼していたことと言えば……

名前。
年齢。
出身地。

こういう候補者が大量発生する事態を作り出してしまった有権者の一人として、猛省せねばなるまい。

少なくとも、本日耳にタコができるほど聞かされた候補者には投票するまいと決めた。

「The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛」を見ました [コラム]

先週の金曜日、さいたま芸術劇場で上映された「The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛」を、妻と一緒に見てきました。

http://www.theladymovie.jp/

BBC時代、アウンサンスーチーさんのご主人が亡くなった、という報道も通訳しているんですよね。でも、当時はこのご夫妻がどのような人なのかを十分理解していませんでした。

そういうことは、振り返ってみると結構多いなと思います。

映画を見ながらいろいろなことを思ったのですが、ちょっとまだうまく整理がついていません。もちろん事実に基づいているとはいえ、いろいろな脚色はあるなとは思いました。でも、軍事政権の理不尽さは良く描けていますので、通翻の皆さんはぜひ見てみることを勧めます。自分たちが生きている状況が、どれだけ恵まれているのか、また恵まれていても、人はどれだけ動けない・動かないものなのかをしみじみ考えさせられますよ。

アウンサンスーチーさんについて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%BC

父親のアウンサン将軍について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%B3

軍事政権のネ・ウィン大統領について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3

このネ・ウィン氏には、日本は多額のODAを与えているんですよね。見方によっては軍事独裁政権の支援をしていたとも取れるわけで、そのあたりも考えていかないと。

ちなみに私がBBC日本語部にいた頃も、今も、BBCでは一貫して「ミャンマー」「ヤンゴン」ではなく、「ビルマ」「ラングーン」という用語を使って報じています。軍事政権の言うことには従わない、という組織としてのポリシーがあるからだそうです。

NHKや外務省には、また独自のポリシーがあるのだと思いますが、そこをもっと広く伝えることも大事なのではないか、とも思いました。

柴原 智幸

家族とお出かけ [コラム]

ここの所、毎年ゴールデンウィーク中に通翻の学生たちを自宅に読んでパーティーを開いていたのですが、今年はちょっといろいろあって延期となりました。

<過去のパーティーの様子は以下のリンクからどうぞ>
http://tsuhon.blog.so-net.ne.jp/2011-05-01
http://tsuhon.blog.so-net.ne.jp/2011-05-02
http://tsuhon.blog.so-net.ne.jp/2012-05-03

実際問題、仕事が一杯なのですが、そんな中を縫って家族で潮干狩りにも行きましたね。

<社長、「笑い話」はそんなに真剣な顔で読まないように>
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<木更津行きの特別列車は、普段の通勤経路を通るのですが、シチュエーションが違うと、窓の景色がこんなにも輝いて見えるんだなあ、などと思いました>
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潮干狩りは、基本「キャッチアンドリリース」で(笑)。帰りの電車の中で、皆が寝静まってから、こっそりNHKの原稿を書いていたのですが、途中で寝てしまい、大量の「kkkkkkkkkkkkkkkk」という文字をデリートする羽目になりました。とほほ……。

さて、ある日の子供部屋から、音読の声が聞こえます。はて、宿題の音読はさっき聞いたしなあ、とのぞいてみると、娘がぬいぐるみに「読み聞かせ」をやっておりました。はっはっは。
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これもゴールデン・ウィーク中ですが、妻が抽選に当たり(驚異のくじ運の持ち主なのです)、遊覧船に乗って、東京湾に停泊中の「ボイジャー・オブ・ザ・シーズ」という超豪華客船を見てきました。何というか、団地がそのまま浮かんでいるような迫力でしたね。
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ゴールデン・ウィーク後、娘の10回目の誕生日。イギリスから帰国した翌年の5月から、もう10年ですか!
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で、昨日。例によって例のごとく仕事がはかどらず、休日出勤で大学の研究室へ。妻が仕事だったので、ついでに子供たちもつれてきました。学生用の学習漫画が大量にあるので、2人で数十冊読破したようですよ。学生諸君、早く読まないと、うちの子たちが全部読みつくしちゃうよ。いやまあ、競争じゃないんだけどさ。

<手前にあるのは今年も英語基礎演習で使っているユメタンとユメブン。木村先生と石崎先生に胸を張ってご報告できるように頑張らねば……>
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お昼は学食で。何と元通翻の卒業生、菊川さんに偶然お会いしました。お元気そうで何より。子供たちも久しぶりに会えた「みさえお姉さん」に嬉しそうでした。

<スパゲッティ―とカレーに食らいつく子供たち。ちょっとはカメラの方を向きなさい>
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<おいしかったようで、何より何より>
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そして母の日の今日も、妻は通訳学校で授業。私は子供たちを連れて「クレヨンしんちゃん」の映画を見に行って、1時間半睡眠を取るつもりが子供たちと一緒になって大笑いしておりました。

その後3人で1時間ほど書店を見て、子供たちはレゴショップでレゴで遊んで、昼食。
<傑作ができたそうで、記念に1枚>
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その後、腹ごなしに30分ほど歩いて、娘のパスポートの受領をして、大宮そごうへ。妻とおばあちゃんズ宛ての母の日カードを買って、また三省堂で3人して30分ほど本を見て、本と図書カードを買って、夕飯の買い物をして帰宅。

カードを書いて、洗濯ものやら片付けやらをして、夕飯の支度を3人でやりました。料理は好きなのですが、このところ何しろ忙しくて台所にはろくに立っていなかったため、手際がいまいち……。

メニューは玄米ご飯、納豆、まいたけと水菜と油揚げの味噌汁、豚肉の冷しゃぶ+ボイル小松菜、豆腐と海藻とカニカマのサラダ、フルーチェと牛乳寒天でした。

息子はカニカマ切りと冷しゃぶの水切り、納豆作り、牛乳寒天作り。娘はフルーチェ作りと食器並べなどと担当。早めに風呂に入らせ、帰宅した妻が入浴をしている間に味噌汁を仕上げて夕食。

子どもたちが寝た後、妻と「空飛ぶ広報室」を「うわー、かゆいー!」などと言いつつ楽しく見て、メールの返信などをして今に至ります。

家族との何気ない日々があるからこそ頑張れるのだなあ、などと思いつつ、仕事が押してきてしまうと一番の味方である家族にきつく当たっちゃったりするのですが。反省反省。

今週も頑張って行こうと思います!

柴原 智幸

ソーラーパワーで飛ぶ航空機あれこれ(小沼君の書いた記事紹介) [コラム]

小さい頃から飛行機が大好きなのですが、久々にワクワクするニュースがありました。この度、ソーラーパワーで飛ぶ飛行機が、アメリカ大陸横断に挑戦するのだそうです。

http://www.solarimpulse.com/en/

それをfacebookで以下のような感じで取り上げました。

***

ソーラーパワーで飛ぶ飛行機が、アメリカ大陸横断ですか!まだ無着陸ではないですが、将来的にはそれも技術的に可能になりそう。多発機なのが、個人的にツボです。

それにしてもいい天気ですね、今日は。イギリスに住んでいた頃、こんな日はよくエアショーに行っていました。爆音を全身で聞きつつ、ビールを飲んでツマミをあれこれ食らっておりましたねえ。

う~ん、DC-6の離陸が見たい。F-4ファントムのハイスピード・パスとハリアーのホバリングが見たい。スピットファイアとハリケーンのフライパスが見たい。叶わぬことではありますが。

さて、原稿書きに戻ります。ううう。

***

ミャンマーにいる小沼君とも、次のようなやりとりがありました。

***

柴原先生

先生が今日取り上げていたsolar impulseについて偶然書いていました。ぜひ読んでみてください。

http://eedu.jp/blog/2013/02/09/solar-plane/

***

小沼君、素晴らしいです。ああ、科学技術がこうやって役立つって、本当に良いなあと思います。ぜひとも一人でも多くの人に知って欲しいですね。

柴原

***

上記のリンク、ソーラーパワー飛行船に関して小沼君が書いた記事なのですが、非常に興味深いです。これならば途上国の医療問題についても大きな貢献ができますね。飛行船だから、飛行場を作る必要もないですから、インフラをそれほど整備しなくても良いでしょう。そこも途上国向けかもしれませんね。

係留塔などの保守管理で、ちょっとした雇用創出も可能でしょうか?

あとは……ヘリウムガスの確保かな。確かここしばらくアメリカが売り渋っているような話をどこかで聞きましたが。そうは言っても昔みたいに水素ガスを詰めるわけにはいきませんしね。でも、まあ何とかなるでしょう。

小沼君、ミャンマーでの教育普及プロジェクトで忙しい中、貴重な情報をありがとう!

みなさん、ぜひ彼の記事を読んでみてください!

柴原 智幸

齋藤孝先生の講演会に行ってきました [コラム]

「致知」という雑誌が主催した、明治大学の齋藤孝先生の講演会に行ってきました。1時間ほどの短いお話でしたが、いろいろと気づきがあったのでシェアしたいと思います。

「実語教」という、平安時代に成立し明治初期まで寺子屋などで教科書として使われていた本がありまして、その本の内容と、精神の軸を作る、ということがお話の中心でした。

印象的だったことを以下に列挙します。例によって柴原の聞き間違い、勘違いなどを含む可能性がありますことをご了承ください。

柴原 智幸

***********

・今の大学生は、心が折れやすい。それこそポッキーのように折れる。励ますつもりで「君が教員になるなんて、千年早いぞ」と言ったら、それでガックリ来てしまう。

・学生たちは、積極性はないが、やらせるとやる。したがって、適切なミッションを与えるのが大切。

・授業では一週間に新書を5冊読んで、それを紹介させている。
→通翻生の諸君、「5」冊ですよ、5冊。昨年諸般の事情で中止となってしまったプロジェクト330は、週に「1冊」のブックレポートでしたよね。

私がやろうとしていたことは、本学の学生にはレベル的に難しかったのではないか、というご意見も私の耳に入ってきていますが、私はそうは思っていません。偏差値と本を読む力は関係ないと思うのです。

ちょっと語弊がある言い方かもしれませんが、「頭の良いバカ」もいると思うし、「賢明な劣等生」もいると、私は思うんですよ。私は前者よりは後者でありたいと思います。気がつくと、単なる「バカな劣等生」である自分に気づいて、愕然とすることもよくありますが。

まあとにかく、私と齋藤先生では月とすっぽんですから、そこで差がつくのは仕方がないにしても、知的レベルという点では、明治大学の学生さんと通翻課程生には、私と齋藤先生ほどの格差はないはず。

明治大学で齋藤先生に習っている学生さんは週に5冊で、本学の知的学生のspearheadであることを目指す通翻生が、週に1冊。別に競争ではないとはいえ、これでは差が開く一方です。

やればできる、と私は思うんですけれども、皆さんはいかがでしょうか?

・人間を構成するのは「心」と「身体」と「精神」。

・「心」は移ろいやすい。朝起きて雨が降っているだけでもふさいだりする。したがって、あまり「心」をfluctuate(すみません、実際はどうおっしゃったのか忘れました)させないことが肝心。

・そのために、「身体」と「精神」の安定が大切。「心」≠「精神」

・「実語教」は「精神」修養のための書物。「精神」とは、変わらないもの、不動のもの、揺らがないもの。例えば武士道という精神は、天気には左右されない。論語が語る精神も同じ。

・「精神」の安定は、人格の安定につながる。

・「身体」「精神」という土台の上に、「心」を載せる。

・漱石、鴎外などは「素読世代」。自分の「中」に精神性を構築していた。時代が下って白樺派ぐらいまで行くと、「教養世代」。しかし、「知識」では精神は鍛えられない。

・情報をいくら見ていても、精神は身につかない。例えば、ネットサーフィンで「精神」を作って行くことは不可能。

・単なる友達づきあいでも、精神を身につけるのは難しい。友人から「お前、それはまさしく『仁』だね」などというメールが来るとは考えにくい。

・コーチのお手本を見ているだけでは、テニスはうまくならない。講演会も同じで、講師の言っていることを聞いているだけでは身にならない。習ったことを、誰かに話すことが大切。

・講演会で聞いたことに、「自分の経験を1つまぜて」、最低2人に話すことが大切。

・「引用ができるかどうか」で、読んだ本が自分のモノになっているかが分かる。

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ファン・ティー・キム・フックさん講演会に行く [コラム]

妻と一緒に、西南学院創立100周年記念・東京オフィス開設記念講演会である、「ファン・ティー・キム・フックさん講演会」に行ってきた。

ファン・ティー・キム・フックさんと言われて「ああ、あの!」と反応出来る方は、一定の年齢層より上だろうと思う。しかし、9歳だったキム・フックさんが、ナパーム弾の黒煙を背景に、裸で泣きながら走る写真は、多くの人が見たことがあるのではないだろうか。

私の娘も9歳。そう思うと、キム・フックさんが幼くして背負い込んだものの重さにうめき声が出る。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%83%E3%82%AF

1972年6月8日。南ベトナム軍の誤爆による悲劇だった。当時私は3歳。決して「つい最近」のことではないが、歴史の教科書の片隅で、ほこりをかぶっているほど昔のことでもない。「今」と地続きの歴史だ。

日本で何不自由なく育っていた3歳の私。そして同時期に、ベトナムで体をナパームの炎に焼かれ、「熱い!熱い!」と泣き叫んでいた6歳年上の少女。そんなベトナム戦争の歴史の生き証人と対面することに、少々緊張しながら会場入りする。

***

「平和を作り出す人材を育成する」というのが、西南学院のモットーだという。いわゆるミッション系の大学だ。講演の通訳をしてくださったのは、2001年に西南学院大学を卒業された男性だった。見事な通訳だった。

あと10年ぐらいたって、本学で同じような講演会をするときに、通翻の卒業生が通訳にあたってくれるととてもうれしいな、と思う。

***

司会の女性が、キム・フックさんの略歴を述べて下さった。

1972年6月8日に誤爆にあった時点で、9歳。14か月入院して、17回の手術を行なう。

戦後は、ベトナム政府によって広告塔として政治的に利用され、後にカナダ亡命。

1997年11月、ユネスコ親善大使となり、キム財団を設立して、戦争や紛争の犠牲になった子供たちの支援にあたる。

***

以下、講演会で取っていたメモから、キム・フックさんの言葉を列挙する(私の誤解、聞き間違い、誤記もあり得るので、その点はご了承下さい)。

***

1972年6月8日にナパーム弾攻撃を受けるまで、戦争のことは何も知らなかった。それまでの一番の大けがと言ったら、自転車から落ちて膝を擦りむいたぐらい。

爆撃の当日、寺院に隠れろと言われた時も、「何だか冒険みたい」と思っていた。寺院は聖なる場所、安全な場所だ。

ところが兵士が来て、子供たちに「逃げろ!」と言った。初めて怖くなった。

飛行機の爆音がとどろく中、道を走っていると爆弾が落ち、ガソリンが燃えた。

一瞬で服が燃え尽き、皮膚が燃える。誰かが「熱い!熱い!」と叫んでいる……それは自分の声だった。

その時の様子をAP通信のカメラマン、フィン・コン・ウトが撮影し、その写真は人々の心をとらえ、ピュリッツァー賞を受賞した。あの写真が戦争終結の一助となったという人もいる。

被曝後、第1小児病院へ連れて行かれたが、「これは助からない」と判断され、死体安置所に寝かされていた。

3日後、遺体を引き取りに来た母が、まだ息のある自分を発見し、病院に旧友がいた父が友人に掛け合って別の病院に転院することになる。そこでは14か月入院し、17回手術した。最後の手術は1984年、ドイツで行った。

回復は困難な道のりだった。退院した時も痛いリハビリを毎日やらなくてはならなかった。

やけどのせいで、自分が可愛いと思えない。

やけどに触るたびに、怖い思い出がよみがえる。

他の女の子が半袖の服を着られるのがうらやましい。

自分はもう、男の子に愛されることも結婚することもなく、普通の生活は送れないだろう。

***

メモに赤字で「笑顔」「穏やか」「やさしい魅力」と書いてある。こんな話をしながら、キム・フックさんは常に微笑みを絶やさなかった。

***

退院した時の夢は、医者になる事だった。10年後の1982年、サイゴン(ホーチミン)医学学校に入学。

しかし、ベトナム政府はキム・フックさんを戦争のシンボルに使おうとした。学校から連れ出され、外国人記者とインタビューをさせられる。勉強は様々な形で妨害された。

自分は「また」戦争の犠牲になった。かごの鳥だった。Why me?

自分をこんな目に遭わせた人を、殺したい。苦しみを与えたい。そう思った。

しかし、いつまでもそんな風には生きられないと考える。

I have to change my heart or die from hatered.(考えを変えないと、憎しみのあまり自分が死んでしまう)

どうやって心を落ち着け、前進するのかを悩んだ挙句にたどり着いたのが、バイブルだった。19歳でクリスチャンになる。1982年のクリスマスのことだった。

1986年、キューバに留学。6年間ハバナ大学で学び、そこで夫に出会った。1992年9月11日結婚。モスクワに2週間ハネムーンに行った。

その帰りに、飛行機が給油のためカナダに1時間止まった。その時に夫と2人で亡命。お金も知り合いもなく、カナダの文化も全くわからない中での亡命だった。

(聖書の一節を紹介し)自分を苦しめた人を許すことを学んだ。非常に大きなことだった。

最初は、感情的にも肉体的にも辛く、許すのは絶対に無理だと思った。神に祈りをささげるばかりだった。

In order to be free, I have to learn to forgive.(自由に生きるには、「許すこと」を学ばなければならない)

投下された4つの爆弾の落下点の中心に自分はいた。1200度の炎に焼かれ、死んでいたはず。皮膚も焼け落ちていたはず。でも……この通り、手も顔も、きれいでしょ?(笑い起きる)

I shall not die but live to declare the work of God.

自分の心はブラック・コーヒーの入ったグラスのようだった。祈りをささげ、少しずつどす黒い思いを減らすのだが、どうかすると、またすぐ「ブラックコーヒー」でグラスが満たされてしまう。それでも祈り続けた。

やがて、ブラックコーヒーは少しずつ減り、ついにはどす黒い思いの代わりに、きれいな水で、自分の心は満たされるようになった。

自分に苦しみをもたらした人を、1人1人祈りのリストに加えて行った。

The more I prayed for my enemy, the softer my heart became. (敵に祈りをささげるほど、心が解きほぐされていった)

一言でそう言ってしまうと簡単そうに聞こえるけれど、人生で一番難しいことだった。でも、皆さんにもきっとできること!

***

その後、1996年にワシントンにあるベトナム戦争慰霊碑を訪れた際の、元アメリカ兵との交流、さらにはキム・フック財団のウガンダでの活動などについて触れた。

http://www.kimfoundation.com/

***

最後に、あの写真(被爆直後のキム・フックさん)の新しい見方をお教えしましょう。

あの写真に写っている女の子は「熱い!熱い!」と泣き叫んでいると皆さん思うでしょう。

でも、こう考えて下さい。あの女の子は「世界に平和を!(She's crying out for peace.)」と叫んでいるんです。

通訳・翻訳課程コーディネーターから退きました [コラム]

昨年のちょうど今頃、エイプリル・フールのネタで書いたものを信じた人が多かったので、
http://tsuhon.blog.so-net.ne.jp/2012-03-31-4
ある程度時期を外してから報告いたします。

****************

2013年3月31日をもちまして、柴原は通訳・翻訳課程のコーディネーターを退きました。

2009年に着任して以来、「すべてを学びに」「Learn from everhthing!」をモットーに指導に当たってまいりました。着任当時に、「学びのプロセス自体に価値を見出すよう指導する必要がある」と考えたからです。

「教職課程」は修了すれば教員免許が取得できます。「児童英語教員養成課程」は、民間資格とはいえ、修了証をもらえれば、自宅で児童英語教室を開こうという卒業生は多いでしょうから、大きなプラスになるでしょう。

しかし、本学を卒業して、すぐに通訳者として稼働する学生がそれほど頻繁に出るとも思えませんし、稼働するにしても、通翻課程の修了証では残念ながら教員免許のような効力はないのです。

そうであれば、「学びのプロセス」そのものを学生たちが楽しんで、様々なことを吸収し、その吸収したことを元に自力で判断を下して動いて行けるようになってもらおうと思ったのです。「最強のジェネラリストを養成する」という言い方をしたこともありました。

社会に出れば、「未知の状況に直面し、自分の中の知識と判断力を総動員して状況を切り開いていく」という局面はかなり多く、通翻課程での貪欲な学びは、結果として就職活動においてもプラスになるだろうとも考えていました。

走り出してから4年、学生たちは私の無茶によくついてきてくれたと思います。私としても、「学生のより良き学びのために」と思っていろいろな指導に取り組んできました。

2013年4月より、通訳・翻訳課程は大幅な変更が加えられることになりました。2009年からの終了要件の変化は、以下の通りです。

2009年
 1 必修科目・選択科目82単位の習得
 2 TOEFL600点以上、TOEIC900点以上、英検1級いずれかの取得
 3 通訳・翻訳技能を利用したコミュニティー活動を一定の時間行なう
 4 半年から1年の英語圏への留学
 5 通訳翻訳課程修了試験合格

2011年
 必修科目、選択科目数を82単位から68単位に削減

2013年
 1 必修科目、選択科目の合計36単位をすべて習得すること
 2 TOEFL600点以上、TOEFL iBT100点以上、TOEIC900点以上、英検1級、IELTS7.0以上のいずれかを取得していること
 3 半年から1年の英語圏への留学

高い理想を掲げて走り出した通訳・翻訳課程のコーディネーターとして、よかれと思ったことをやり続けてきたつもりでしたが、振り返ってみれば、もう少し周囲への配慮があれば良かったと思います。

先日読んだ小説の登場人物の言葉に「なるほどな」と思いました。備忘録も兼ねて引用しておきます。

<引用ここから>

「うん、それすごい正論ね。でも正論って面倒くさいのよ」
(中略)
「面倒くさいと思う人に面倒くさがるなって言っても仕方ないし、面倒くさがる人は必ずいるのよ。協力すべきなのにってブツブツ言うより、協力的じゃない人に協力させる方法を考えたほうが建設的じゃない?義理も縁もない他人に何かを頼むとき『協力してくれるべき』とか『してくれるだろう』とか甘い見通し持ってるやつは絶対に失敗するわ。協力って期待するものでも要求するものでもなくて、巧く引き出すものなのよ」
(「図書館戦争」 261ページ)

<引用ここまで>

私は、理想を唱えていれば、自然と賛同は集まるものだと考えていたところがありました。傲慢だったと思います。

これからは本学の一教員として、学生の指導に専念しようと思います。

もちろん、通翻課程の学生諸君から何らかの形で指導の要請があれば、私の出来る限り、全力で応えたいと思っております。

私の好きな映画に「いまを生きる」と「モリー先生との火曜日」があります。ジョン・キーティング先生とモリー・シュワルツ先生は、私にとっての、教師の理想像でした。

理想はなかなか実現できないからこそ、理想なのかもしれません。結局、私はキーティングにもモリーにもなれずじまいでした。拙いなりにベストは尽くしましたが、プロとしてはそれは当たり前のことで、大学側が望む「結果」を出せなかったのでは仕方ありません。

しかし、他人と過去は変えられない、と申します。これからを見据えて、また走り出さねばなりません。

学生たちには、ジョン・キーティング先生の言葉を一部アレンジして(というか、and girlsを付け加えただけですが)、これからもこう呼びかけて行きたいと思います。

"Carpe diem. Seize the day, boys and girls. Make your lives extraordinary."
(「カーペ・ディエム。今を生きるんだ、みんな。型にはまらないで、思い切り生きなさい」)

いくつになっても青臭いことばかり言っておりますが、そういう形でしか成長できない男なのだとご理解いただければ幸いです。

学生諸君、ぜひとも私を使い倒してください。今まで蓄積したものをすべて、君たちに伝えて行きたいと思います。

柴原 智幸

分からないけれど、触れておく [コラム]

絵心がないし、絵が分からない。音楽の神髄を聞き取るような耳もない。文学作品の良さも、十二分に感じ取れているとは思えない。

それでも触れておく、ということが大事じゃないかなあと思って、「芸術」と名のつくものには、機会を見て触れるだけは触れようとしている。何かを感じ取れるし、楽しいし。

欲張りなのかもしれないなあ。もっと分かってもっと楽しみたい、と思っているのかもしれない。

そんなこんなで、せっかく地元に近代美術館があるし、先日子供たちと足を運んで、ポール・デルヴォーという画家の特別展を見てきた。

見たことのあるのは「森」という作品だけだったが、生い立ちが非常に興味深かった。

ついでに常設展も見に行く。「木口木版」というものを特集していて、これも面白かった。

昔は教科書の図版や新聞の写真代わりに使われていたのだそうだ。日和崎尊夫という方の作品が紹介してあった。その説明文が良かったので、入場券の裏に書きとる。

「それは黒一色の固い小口の版面をビュランで刻みながら光を当てて行く作業です。闇の世界に名前すら持たない森羅万象の存在に照明をあて、このものの所在を明らかにし、現実世界に連れ出してくる作業。夜空に瞬く星に語りかけるように、イメージを求め広大な宇宙へ呼びかけ、その存在を問う行為といってもよいかもしれません。」

使うのは椿の木など。ビュランという刃物で、一分間に200~300回も木を刻むのだそうだ。

常設展ではおなじみの絵も、久しぶりに見ると良いなあ、と思う。「ジヴェルニーの積みわら、夕日」(クロード・モネ)、「エラニ―の牛を追う娘」(かみーゆ・ピサロ)などが心に残った。

初めてみるのだが、鮮烈な印象があったのが、 「Vision Fugitive」(五月女幸雄)だった。

ミュージアムショップでチョコレートを2箱買い求め、息子と2人でメッセージを添え、妻と娘にかなり遅れた「ホワイトデー」のプレゼントとする。

PBSニュースアワー 「名誉殺人」 スクリプト [コラム]

本日の時差通訳用に柴原が作成した原稿を転載しておきます。

尺を合わせるために、あえて訳し落とした情報があることを、ご承知おきください。
誤字脱字、誤訳などありましたら(いや誤訳はあってはいけないのですけれども)ご容赦ください。

柴原 智幸

****************

続いては家族を殺害されたパキスタン人の男性が、犯人に対する法の裁きを求めているというニュースです。かなり直接的な描写がありますことを、あらかじめお断りいたします。

***

イティシャムさんは、この1年近く、どうしても足を運ぶ気になれなかった場所に、やってきました。

奥さんと2人の子供と暮らしていた家です。

足取りも重く階段を上ります。

その先の部屋の、棚に押し込められた荷物。それが、3人の家族の遺品の全てなのです。

イティシャムさんは、子供たちの毛布を見つけました。奥さんのハンドバッグもあります。そして、ほこりにまみれた食器。

奥さんのナーギスさんは、イティシャムさんが運転するタクシーに乗り、2人は恋に落ちました。しかし幸せな結婚生活は、突然終りを迎えます。ナーギスさんは、殴られ、銃で撃たれ、刃物で刺され、首を絞められて殺害されたのです。

まず殺されたのは2人の子供でした。4歳の男の子と、まだ赤ちゃんだった女の子です。2人は建物の屋上から突き落とされ、ナーギスさんはその様子を無理やり見せられたのです。

この店で、ポテトチップを買ってあげたのが、子供たちとの最後の思い出です。

奥さんのナーギスさんは、母親が危篤だから、すぐに会いに来るようにという電話を受けました。

それが罠でした。ナーギスさんの家族は、イティシャムさんと娘の結婚を認めていなかったのです。
ナーギスさんが戻ってこない不安を紛らわすように、バスのハンドルを握っていたイティシャムさん。すると乗客が、新聞に乗っていた、ある写真を見せてきました。殺害された親子の写真です。一目見ただけでは、イティシャムさんには、自分の家族だと分かりませんでした。

「『この写真を見てみろよ。かわいそうに、誰がこんな目に遭ったんだろうな』というので、振り返って見てみました。でも、妻と子供だとは分からなかったんです。顔がめちゃくちゃにされていましたから」

殺害現場は、ナーギスさんの故郷に近い、マルダン。いわゆる名誉殺人で、家族が一番有力な容疑者と見られていました。しかし警察が逮捕したのは、イティシャムさんとイティシャムさんの2人の兄弟でした。兄弟は4カ月間、拷問を受けたと語っています。

「警察はこう言ったそうです。『お前らが殺しに関わってない事は分かってる。イティシャムがやったと証言してくれればいいんだ』」

イティシャムさんと2人の兄弟は、濡れ衣を着せられていたとして、昨年釈放されました。今はナーギスさんの母親と兄弟、叔父と叔母が裁判を受けていますが、イティシャムさんは、判事が買収され、まともな裁判にならないのではと懸念しています。

殺害から1年たった今も、葬儀は行なわれていません。イティシャムさんは、今も家族の遺体を探しているのです。

地元の墓地を訪れたところ、墓穴(はかあな)を掘る作業員が、大急ぎで埋葬を行なった事を覚えていました。
この場所に、惨殺された女性と2人の子供を埋めたと言うのです。

イティシャムさんは、無我夢中で草をむしります。

そして最愛の妻ナーギスさんと、娘のアリーシャちゃん、息子のシャイアム君と、無言の再開を果たしたのです。残忍な犯罪の証拠隠しが行なわれた場所に、イティシャムさんはレンガの目印を置きました。

しばらくひとりになりたいイティシャムさんですが、殺された妻、そしてその妻が見ている目の前で突き落とされた子供たちのことを考えるには、場所を移す必要がありました。

「ご家族が埋葬されている場所の草をむしっているとき、どんなことをお考えでしたか」
「まだ、ちゃんとしたお墓は作っていないんです。また、あれが家族の遺体だとは信じられなくて。
作業員の方は、そうだと言っていました。惨殺された女性と、体に刺し傷と斧で切りつけられた傷がある女の子、そして同じように傷を負った男の子の遺体だと。
でも、埋葬に立ち会ったわけじゃありませんから、まだ家族だとは信じられないんです。」

自分のような貧しい男との結婚で、裕福な一族の名誉を汚したというのが、ナーギスさん殺害の理由だろうと語ってくれました。
ナーギスさんから来た手紙には、一途な愛の言葉が並んでいます。

「あなたが、とても、とても、とても、とても好きです。会えなくてさびしい。昼も夜もあなたに会いたい。それじゃあね」

イティシャムさんにとって、一番気が重い作業が始まりました。子供たちのおもちゃの整理です。

この近所には、幸せな思い出が多すぎます。

「子供たちがよく行ってた店があって……。
あの近所を歩いていると辛いんです。あのあたりの路地で、子供たちが遊んでましたから。」

取材を受けたのは、犯人に裁きを下すためだ。イティシャムさんは、そう語ってくれました。

「近江アカデミー」のレッスンに参加してきました! [コラム]

南山短期大学名誉教授の近江誠先生が主宰していらっしゃる、「近江アカデミー」のレッスンに参加してきました。

「近江アカデミー」ウェブページはこちら
http://omi-academy.com/index.shtml

神田外語学院で教えていた当時、近江先生の「感動する英語」をテキストに使ったことがあり、英文を徹底的に理解・吸収した後に「モード転換」をして、新たな文脈で自分の話したい内容を語って行くという方法論に、深い感銘を受けました。

「感動する英語」
http://omi-academy.com/about/syuyou_04.html

その頃から「いつかお会いしていろいろお話を伺ってみたい」と思っていたのですが、数年越しの夢がかないまして、実際のレッスンに参加した次第です。

参加してみて思ったのは、私の「近江メソッド」の認識が、まだまだ表面的なものにとどまっていたということです。

レッスンが始まってすぐにモード転換の前段階の音読(という用語を使っていいのかどうか分かりませんが)練習が始まりました。生徒の皆さんが、一人一人英文を音読して行きます。

英文の内容理解については前回のレッスンで扱っており、すでに一部暗唱されている方もいらっしゃいましたが、近江先生から次々とチェックが入ります。

「内容をうんぬんする前に、『誰が』話しているか、です」

と先生がおっしゃいます。通訳や翻訳をしていて、「この人が日本語で話したら、きっとこんな語り口になるだろうな」と考えて、訳出をしていくことがよくありますが、それと重なる部分がありますね。

近江先生は、「語り手に成り代わって声を出す」「活字として表れているテキストだけではなく、subtext(笑わせてやろう、何かの弁明を行なおう、など)が何かを考える」というアドバイスもなさっていました。私は通訳学校で「表面的な言葉だけではなく、『何のために行なう通訳なのか』を考えましょう。あくまで取引関係を維持しつつ問題点を是正したいのか、関係の破棄も辞さずに問題点解決を迫るのか、といったことです」と言ったことがありますが、それとも重なる部分があります。

「What are you trying to accomplish by saying what you're saying?ですよ。この点をきちんと意識してから暗記しないと、語り手にのり移れません」

という近江先生の言葉に、おっしゃる通りだなあと膝を打ちながら耳を傾けます。

……が、傍観者でいられたのはここまで。何と近江先生が私のラジオ講座のテキストを使って、その先のレッスンを進めて下さいました。光栄ではありますが、ええカッコしいの私としては、「ボロを出さないようにしなければ!」と一気に緊張してしまいます。

テキストの英文は何度も目にしてはいますが、番組内の英文の朗読はネイティブのナレーター(クリスさんとキャロリンさん)にお願いしており、私が英文を音読した回数は、それほど多くありません。

「では、最初から読んでください」

という近江先生の指示を受け、1段落ほど読み終わりました。読み間違わないように、発音を正確に、などと緊張しながら読み終わったところ、先生がおっしゃいます。

「今の音読ですが、聞き手は誰ですか?」

しまった!

普段あれだけ学生たちに「通訳はキャッチボール。ボールの受け手を意識しないキャッチボールはないでしょう。常に自分の言葉を誰に向けて放っているのか、ちゃんと受け取ってもらえているのか、注意を払いなさい」などと偉そうに言っていたくせに、完全に聞き手への意識が飛んでいました。修行が足りませんねえ。

さらに、「地球の人口ってどのぐらいだと思う?○○億?○○億?実は○○億人なんだよ!」と話す部分があるのですが、私がbillionを強調して読んでいたところ、

「billionは既出情報ですから、強調するべきはその前の数字ですね」

とご指摘いただき、これも考えてみればその通りなのですが、まだまだ意識しないと出来ていません。そして、「地球はこれ以上の人口は支えきれない」という部分で、more peopleという部分があったのですが、ここもpeopleを強調して読んでいたところ、

「『今、話しているのは、犬猫のことじゃないよ、人間!人間について話しているんだからね!』というならば、そういう読み方になりますが、この場合は『これ以上は』という部分が伝えたいわけですからmoreを強く読みます」

とアドバイスをいただきました。

上手く説明できない感覚なのですが、自分の問題点を指摘されるのが、何だかワクワクする気分でしたね。「おお、なるほど!自分では気づけなかったけれど、そこに気を付ければさらに前進できるぞ!」という感じ、といったら良いでしょうか。

その後に全員の前に出て、「難聴の方々と、英語が苦手でmillionとbillionが怪しい方々が聴衆にいる、という設定で読んでみてください」という課題をいただきました。これも難しかったですが、あれこれ考えながら読むのは、本当に楽しかったですねえ。

それは裏返して考えれば、「普段自分がやっていた音読が、いかに何も考えていない、無味乾燥なものだったのか」、ということでもあります。

また、「なぜそこを強めて読むのか」というのは、裏返せばそれ以外の部分をいかにサラリと読んで行くのかということにもなるわけですが、近江先生によれば、演劇ではそのように決めゼリフ以外の部分で意図的に「力を抜いてセリフを語る」事をthrow away(「言い捨てる」という感じでしょうか)と言うのだそうです。

確かに、すべての言葉を強調してしまったら、教科書のすべての行にアンダーラインを引くようなもので、かえって内容が取りにくくなります。

その後に先生の「感動する英語」のお話から、モード転換の話題になったのですが、私が考えていたものより、はるかに深いコンセプトでした。

私は単に、「元の英文の骨格を利用しつつ、表現を一部差し替えて表現のバリエーションを広げる」ぐらいにとらえていたのですが、近江先生が考えていらっしゃるのは、以下のようなことです。

<引用ここから>
 素材に内在する「語り手」「聞き手」「時」「場所」「目的」「内容」「様式(展開や身体性)」を理解したように音読することで、ますます理解を深め、その理解の上にたってさらに音読、朗読表現をしていくことで、様々な表現や、雄弁のからくりが線として身体に刷り込まれている所を狙っています。
 そしてさらにモード転換訓練という上の七つのポイントを動かしてみることによって、入力をさらに確かなものにすることができます。
<引用ここまで>
(近江アカデミーの「オーラルインタープリテーション」の説明ページより)
http://omi-academy.com/about/oral.html

 つまり、一つの英文を深く理解し、自分の中に取りこんだあとで、

1 話し手を変えてみる
2 聞き手を変えてみる
3 時代を変えてみる
4 場所を変えてみる
5 目的を変えてみる
6 内容を変えてみる(料理番組の語りの枠組みを使って、英語教育を語る、など)
7 様式を変えてみる

ということを行なっていくという、非常に壮大な広がりを持ったものだったのです。骨太の、日本人が本来行なうべき学習だと思います。こういう勉強をしていたら、TOEICなど資格試験の点数も、「ついでに」上がることは間違いありません。

「表面だけのまねではありません。比喩を使ってどうするかです。関係なさそうなものの共通性を見出すんです」

と先生がおっしゃいます。これはもう、英語教育の枠を超えて、私が一番やりたいと思っている教養教育に大きく絡んできます。実に興味深いです。

私は専門学校で教えていた時に、チャップリンの「独裁者」の演説を、生徒たちに暗唱させたのですが、それに関しても、

「あれも『モード転換』ですよ。何が元になったのか。それは、独裁者ヒトラーの演説です」

とおっしゃいました。これも考えてみれば、おっしゃる通りです。なるほど、パロディーは確かに「モード転換」ですね。

この後実際に、課題文(私のテキストではない方)を「モード変換」した英文を生徒さんの1人が披露してくださいましたが、料理番組のパロディーで「亭主操縦法」を説く英文だったものが、「なぜ近江アカデミーで英語を学ぶのが良いか」という内容の文に見事に「モード転換」されていました。完全に英文の内容を咀嚼、吸収したうえで、それを自分の主張のひな形として活用していらっしゃいます。素晴らしいです。ああ、こういうことが自分の教室でも行ないたい、と思いました。

それに続いて、「英語ではなく数字に感情を込めてしゃべる」という、実に興味深い訓練も行ないました。

例えば、「生徒指導」というシチュエーションで、数字とそれに込めた感情だけで

「なんだ、最近成績下がってるじゃないか」

「はあ……」

「ほら、ここんとこな。もう少し頑張れよ。ん?いいか?」

「分かりました」

みたいなやり取りをするのです(会話は柴原の推測です。実際には、one, two, three...などと英語で数字をカウントしています。それに感情を載せると、不思議なことに結構コミュニケーションが成立します)。

近江先生が、「酔って帰ってきて奥さんに叱られ、言い訳をする旦那さん」を数字の発音だけで表現されましたが、抱腹絶倒のパフォーマンスでした。

これは教室で使えますねえ。英語だから自信がなく、声も小さくなりがちなわけですが、そのリミッターを外して「コミュニケーション」に目を向けさせるのに、実に効果的な方法だと思います。

先生は、

「言語に意味を与えるのは、語り手です。これを『言語パロール観」と言います。その反対が『言語ラング観』。ラングというのは、この場合『制度』のことです」

とおっしゃっていました。確かソシュールあたりだったでしょうか?今度じっくり調べてみようと思います。

また、中学校の教科書の文章を使ったトレーニングも鮮烈な印象を受けました。

I get up at six every morning.
I eat breakfast at seven twenty.

などと言う、「一日の行動」を描写した短文が6つぐらいあったのですが、先生からご指名を受け、まず私が朗読しました。「これはどういう文脈なんだろうなあ?こんな感じで良いのかなあ?」などと思っていたので、

I get up at six every morning?
I eat breakfast at seven twenty?

という感じの、いわゆる「半疑問形」のような読みになります。それを受けて近江先生が、

「これは、誰に対して行っているんですか?」

とお尋ねになりましたが、全く考えておらず、絶句してしまいました。

「文脈が見えてこなければ、補ってでも(生徒に)食べさせるのです」

と先生がおっしゃいます。なるほど!元々文脈がないのであれば、状況設定などを自分で作りだし、それを元に教え子に英語を口に出させるわけですね。

先生が例として出したのが、「一人暮らしをしている子どもに親が電話をかけてきた」という設定です。「おまえ、ちゃんとやってんのか?全然連絡つかないじゃないか。毎日どうしてるんだ?」と問い詰められた子供が、「はいはい。6時に起きて7時20分に飯食って……」などと面倒くさそうに、自分を大きく見せることを考えつつ答える。これであれば、口調から何から、明確にイメージがわきそうです。実際に先生が話してくださいましたが、リアリティーあふれる語り口でした。

「文脈が見えてこなければ、補ってでも食べさせる」という言葉は、肝に銘じておきたいと思います。

最後に、Reader's Theaterというものを見せていただきました。教室の前に出演者2人とナレーター1人が出て、聴衆に向かって語り掛けます。以前、大学で「朗読」と「群読」のセミナーを受けたことがあるのですが、その「群読」に似ています。

素材は名スピーチなどの一部をモード転換して近江先生が作ったものだそうで、私が聞いたのはチャップリンの「ライムライト」とデール・カーネギーの言葉をベースにしたものでした。

これがすごかったです。オペラのドレスリハーサルを見ているような感じでした。

「役にすごく入り込んでいますね」と近江先生にお話したところ、それとも少々違い、劇作家のような目線で、自分の出番だけでなく、相手の出番も含めた全体を1本のスピーチとして捉え、冷静な部分を残して語るのだそうです。ですから、2人の役を1人で行なうこともあるとのこと。落語の「上下を切る」みたいな感じでしょうか。

さて、パフォーマンスが終わり拍手が起きたのですが、驚いたのはここで終わらないこと。

大まかに言うと、「けがをしたバレリーナを売れない芸人が励まし、その後売れない芸人をバレリーナが励まし」という内容だったのですが、近江先生が私のラジオ講座の内容を受け、

「人口は増えるばかり。どうせもう地球は、人口を支えきれっこないんだ。もうおしまいだ!」

と落ち込んで見せ、お2人が何とかそれを励ますわけです。こういう形で発展させるのですね。私が言うのもおこがましいですが、本当にお見事というか、なるほど!というか、実によく練り上げられたメソッドです。

「Reader's Theaterであつかったロジックや表現を使って、豊かな虚構の世界で遊ばせるんです」

という言い方を、近江先生はしていらっしゃいました。

休み時間も先生を一人占めにして(生徒の皆さん、申し訳ございません)質問をしたり考えを聞いていただいたりしていたのですが、以下、先生がおっしゃっていたこと、私が学んだことなどを列記します。

今までの記述にも言えることですが、私の記憶違いや勉強不足による勘違いを含む可能性があることを、あらかじめお断りしておきます。

・暗唱をやらせていて、生徒がつっかえた時に、先生が続きの言葉を教えてしまうのは良くない。なぜつっかえたのか、それが分からないままにしてしまうと、何も考えずに英文を口にするようになる。

・ディベートのスクリプトも、オーラルインタープリテーションの教材になる。

・理解していないことは、頭に入りにくい。役者がセリフを覚えるときも、記憶力だけで頭に入れているのではない。話の流れが大事。
 本物の役者ならば、芝居全体が、一本の線として頭に入っている。自分のセリフしか入っていないのはニセモノ。

・英語の教材には、長さがある程度必要。ある程度の長さがある文からは、文脈が生まれるから。
→そう考えると、数行のダイアログ、というような内容はあまりよくない。練習する際も、自分の担当する側ではなく、全体を通して練習するべき。

・歌を歌わせるには、まず歌詞の朗読から。意味を考えて読み上げて行けば、そこにメロディーが乗ってくる

***

レッスン終了後も、近江先生と生徒の皆さんと一緒にコーヒーをごちそうになり、そのあと厚かましくも夕食までごちそうになってしまいました。

近江先生、近江アカデミーの皆様、大変勉強になり、また教師としての熱意に再点火していただいた1日でした。本当にありがとうございます。

習ったことを実地に生かし、教師としてさらに前進して行きたいと思います。可能な限り、またレッスンにお邪魔出来ればと思っておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

<近江先生と記念に1枚。ありがとうございました!>
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柴原 智幸

飯野賢治さん [コラム]

飯野賢治さんという、ゲームクリエイターをご存知でしょうか。失礼な話ですが、私自身は飯野さんのお仕事についてはほとんど知りません。大学生ぐらいの時に読んでいたマンガ雑誌に、確か原作者として名前を連ねていらっしゃったな、というおぼろげな記憶があるぐらいです。

でも、私と飯野さんは、意外なつながりがあったんですね。

高校が一緒なんです。

もう6~7年前のことになると思うのですが、たまたまウィキペディアで出身高校の記述を見ていたところ、「著名な卒業生」の欄に飯野さんの名前があって、「ええっ!高校同じだったんだ!しかも学年は1コ下かあ。それであの時にマンガの原作とかやってたんだなあ。すごいなあ!」と思った記憶があるんですよ。

その飯野さんが、急死されました。心不全だそうです。享年42。

Yahooかどこかのニュースサイトで名前を見かけ、「まさか、あの飯野さんじゃないよな」と思ってクリックしたのですが……。

高校は中退されたということですが、それにしても、あの川のそばの校舎で、しばらくは同じ空気を吸っていたわけです。

「同じ先生に習ったこともあったかも。河川敷のグラウンドで、土埃にむせながらランニングしたのかな。そうそう、体育の時は、やっぱり「城西体操」やったのかな。あれ、もうすっかり忘れちゃってるぞ、3年間あれだけやったのに。学食に向かってスリッパで『城西ダッシュ』をかましたこともあったかも。で、学食でBランチの列に一緒に並んだりして……」

お会いしたこともないのですが、何だかクラスメートを失ったような、悄然とした気分になります。自分の過去の一部が、飯野さんと一緒に手の届かないところに行ってしまったような感じです。

訃報を目にしてあちこち検索していたのですが、目に留まったのが東日本大震災から2週間後に飯野さんが書かれたブログのエントリでした。

非常に良い文なので、ぜひお読みになってください。

「息子へ。」
http://blog.neoteny.com/eno/archives/2011_03_post_514.html

この文章を読んで、「ああ、ぜひご存命の間にお会いしてお話してみたかった」と思いました。いろいろなことについて、「どう思いますか?」と尋ねてみたかったです。

また、飯野さんは、数年前まで、かなり体格がよく、高血圧気味だったということで、同じような体格で同じような体質の人間としては、ひどく身につまされます。「まだ死ぬわけにはいかない。いろいろやり残したことがある」とは思いますが、飯野さんだってそう思っていたはず。

死は、突然襲い掛かってくるものなのですね。それはどうにも抗いようがない。変な言い方ですが、「いざという時は手遅れ」という奴です。だからこそ、今を生きなければ、と思います。

何だかこのところ、「○○さんが亡くなりました」というエントリばかり書いているような気がします。

先ほども、名前を知っている女性の声優さんが癌で急死したというニュースが目に入り、ショックを受けているところです。まだ49歳とのことでした。

何にしても、自分の中では高校時代の3年間はその前後の中学校時代と大学時代が思うようにいかなかった分、特別な存在感を持った期間なんですよね。

何度か「再放送」しているエントリですが、リンクを貼っておきます。

http://tsuhon.blog.so-net.ne.jp/2011-10-16

「生き残った」私としては、良く分からない何かを振り払って、学生たちと共に、前へ前へと歩みを進めて行きたいと思います。

デス・エデュケーション [コラム]

息子と娘が通っていた幼稚園で、体操教室が開催されていた。

そこで指導をしてくださっていたN先生が、心臓発作で急逝された、という連絡が入ってきた。

先週の木曜日には、保護者参観で園児たちとドッジボールをしていたのに、土曜日に倒れられたとのことだ。

ベテランの先生だったが、今風の言い方をすれば「細マッチョ」と言うのだろうか、運動選手らしい引き締まった健康そうな体をしてらっしゃった。運動会でグラウンドを所狭しと駆け回っていた姿を鮮明に思い出す。

息子も娘も大変かわいがってもらって、他の子どもたちからも大人気の先生だった。そんな先生が、どうして亡くならなければならなかったのだろう。

もちろん、その問いへの答えはないのは、最初から分かっている。でも、問わずにはいられないのだ。「なぜ?なぜ?」と。

私と何歳も違わないのではないか。まだまだ数十年はたっぷり生きて、たくさんの子供たちに体操を教えて下さるはずだったのに。なぜ必要とされている人から亡くならなくてはいけないのだろう。

もう時間は巻き戻せないし、詮無い事とは分かっていても、ついつい思ってしまう。「人の生き死にって、理不尽だなあ」と。

息子は、訃報を聞いてすぐに「お葬式に行きたい」と行ったそうだ。今度の土曜日に、妻と娘の3人で、お線香をあげてくるとのこと。N先生が、生涯最後に子供たちに「デス・エデュケーション」を行なってくれるということか。

考えてみれば、私自身もN先生のように「万が一」のことがあっても不思議ではない年齢になったということで、「明日死ぬとしたら、悔いはないか?」という厳しさを持って日々を送らねばと思う。葬儀当日は、近江誠先生の「近江メソッド」の体験授業で名古屋に出張しているので、同行できないが、彼の地で静かに黙とうしよう。

N先生、心からご冥福をお祈りします。

お外で遊びなさいっ! [コラム]

昨日(2月18日)の日経新聞の教育面と大学面を見ていて、いろいろ考えてしまった。

教育面の方は、「『英語村』に学内留学」と題して、近畿大学の取り組みが紹介されている。学内の施設で日本語厳禁の英語空間を作り、そこで様々なイベントを行って、「英語を楽しく学ぶ」ことができるようにした、とのこと。

この施設は、近々見学に行こうと思う。神田外語のSALCは、それをハード的にもソフト的にもはるかに上回っているわけだから、もっとものすごいことができるはず。何か悔しい。

それにしても、「体育会系」の英語教員としては「ああ~ん?『たのしくえいご』だあ~?ぬるいっ!ぬるすぎるっ!」と思ってしまうのだが、北爪佐知子教授の、次の言葉にハッとした。

<引用ここから>

 グローバル化に対応できる学生育成のために、多くの大学や教育機関が推進してきた教育の常識は「高い目標を持つ優秀な学生を選抜し、留学させることでより磨きをかける」ことであった。
 しかし、私たちは全体の底上げこそが重要だと考える。「ともかく苦手」と英語アレルギーを持つ学生でも「英語が話せるようになる」「英語が好きになる」ことが目標である。

<引用ここまで>

この考え方にも、確かに一理も二理もある。しかし、本学のような外語大学においては、そもそも「高い目標を持つ優秀な学生」が最初から入学してくるはずなのだから、「楽しい!」だとか「学内がまるで外国みたい!」というものの、さらに上を目指して行きたいものだなと思う。

あくまで印象論だが、通翻課程の学生だけではなく、一般の神田生も、もっともっと伸びる「伸びしろ」はあるような気がするのだ。そこを何とか伸ばしてあげられないものか。

それが来年度のテーマとなっている。

***

続いて大学面に目を転じてみると、「留学 奨学金で後押し」という大見出しが。これもなあ、何だかなあ、と思う。

<引用ここから>

大学や地方自治体の間で、大学生の海外留学向けの奨学金制度を新設・拡充する動きが広がっている。経済のグローバル化で国際感覚や語学力を持つ人材が求められるようになっているためだ。景気低迷や海外大学の授業料高騰で日本人留学生は減少傾向が続いており、奨学金制度の充実で海外で学ぶ学生の数を回復させる狙いがある。

<引用ここまで>

とのことだが、本気でそう考えているのだとしたら、ちょっと方向性がずれているような気がする。

そもそも、留学する学生の数が減ったのは、経済的理由ではなくて、海外への関心が減ったからなのではないかと思う。

もっと言えば、大学で教養課程が全廃されたあたりから、「自分の関心のあること以外に目を向け、知的世界や物理的活動範囲を押し広げて行く」という姿勢がなくなってきているのではないか。そこを変えずに「お小遣い」で釣ろうと思っても、学生たちはのってこないはずだ。

本学の交換留学制度(学費はまったくかからない)にしても、競争率が高いとはとても言えない状況が続いている。外語大学でそうならば、一般の大学の状況は推して知るべしなのではないだろうか。

2年近く前のことだが、学生(通翻課程生ではなかったが)に
「そろそろ春休みだね。僕が学生の頃よりはずいぶん航空券も安くなったし、休みも長いから、のんびり海外に行けるでしょう。どこに行くの?」
と話しかけたところ、
「いやあ先生、海外はいいですよぅ、別に。バイトしてます」
と返されて、「外語大の学生なのに自分の習った言葉を実地で使ってみたいとか、現地の空気を吸いたいとか思わないのかなあ」と歯噛みしたことがあった。

そもそも、グローバル化に対応できるような人材ならば、金で釣られなくても何とか留学の道を切り開こうとするだろう……と思うのだけれど、それこそ「全体の底上げが重要」という悲しむべき状況になっているのだろうか。

「留学に『行っていただく』」と言わんばかりのシステムには、どうも違和感があるなあ。

留学に「憧れ」が付随していた時代は、「遠くなりにけり」なのだろうか。どうやったら学生たちの留学への関心を高められるのだろう。

そうそう、「就職活動に影響が出る」と1年間の留学を半年で切り上げる学生も多いらしい。信じられないことに、就職部がそれを奨励している大学もあるそうだ。

「シューカツ」と「留学」が天秤にかかっている限り、留学する学生は増えそうにないし、お小遣いを持たせて国外に無理やり送り出してしまえば「何とかなるだろう」というのは、「英語なんか、アメリカに行っちゃえば何とかなる」というのと同等の暴論だと思う。

教育機関としての大学の存在を取り戻すこと。
教養教育を復活させ、広い視点から知的好奇心を刺激して行くこと。

この2点を支点としてテコ入れを出来ないものか、と個人的には考えている。

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