飯野賢治さん [コラム]

飯野賢治さんという、ゲームクリエイターをご存知でしょうか。失礼な話ですが、私自身は飯野さんのお仕事についてはほとんど知りません。大学生ぐらいの時に読んでいたマンガ雑誌に、確か原作者として名前を連ねていらっしゃったな、というおぼろげな記憶があるぐらいです。

でも、私と飯野さんは、意外なつながりがあったんですね。

高校が一緒なんです。

もう6~7年前のことになると思うのですが、たまたまウィキペディアで出身高校の記述を見ていたところ、「著名な卒業生」の欄に飯野さんの名前があって、「ええっ!高校同じだったんだ!しかも学年は1コ下かあ。それであの時にマンガの原作とかやってたんだなあ。すごいなあ!」と思った記憶があるんですよ。

その飯野さんが、急死されました。心不全だそうです。享年42。

Yahooかどこかのニュースサイトで名前を見かけ、「まさか、あの飯野さんじゃないよな」と思ってクリックしたのですが……。

高校は中退されたということですが、それにしても、あの川のそばの校舎で、しばらくは同じ空気を吸っていたわけです。

「同じ先生に習ったこともあったかも。河川敷のグラウンドで、土埃にむせながらランニングしたのかな。そうそう、体育の時は、やっぱり「城西体操」やったのかな。あれ、もうすっかり忘れちゃってるぞ、3年間あれだけやったのに。学食に向かってスリッパで『城西ダッシュ』をかましたこともあったかも。で、学食でBランチの列に一緒に並んだりして……」

お会いしたこともないのですが、何だかクラスメートを失ったような、悄然とした気分になります。自分の過去の一部が、飯野さんと一緒に手の届かないところに行ってしまったような感じです。

訃報を目にしてあちこち検索していたのですが、目に留まったのが東日本大震災から2週間後に飯野さんが書かれたブログのエントリでした。

非常に良い文なので、ぜひお読みになってください。

「息子へ。」
http://blog.neoteny.com/eno/archives/2011_03_post_514.html

この文章を読んで、「ああ、ぜひご存命の間にお会いしてお話してみたかった」と思いました。いろいろなことについて、「どう思いますか?」と尋ねてみたかったです。

また、飯野さんは、数年前まで、かなり体格がよく、高血圧気味だったということで、同じような体格で同じような体質の人間としては、ひどく身につまされます。「まだ死ぬわけにはいかない。いろいろやり残したことがある」とは思いますが、飯野さんだってそう思っていたはず。

死は、突然襲い掛かってくるものなのですね。それはどうにも抗いようがない。変な言い方ですが、「いざという時は手遅れ」という奴です。だからこそ、今を生きなければ、と思います。

何だかこのところ、「○○さんが亡くなりました」というエントリばかり書いているような気がします。

先ほども、名前を知っている女性の声優さんが癌で急死したというニュースが目に入り、ショックを受けているところです。まだ49歳とのことでした。

何にしても、自分の中では高校時代の3年間はその前後の中学校時代と大学時代が思うようにいかなかった分、特別な存在感を持った期間なんですよね。

何度か「再放送」しているエントリですが、リンクを貼っておきます。

http://tsuhon.blog.so-net.ne.jp/2011-10-16

「生き残った」私としては、良く分からない何かを振り払って、学生たちと共に、前へ前へと歩みを進めて行きたいと思います。
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