混迷を深めるバレンタイン戦線 [コラム]

知り合いの編集者の方から原稿チェックのメールがあり、その追伸にバレンタインについてのお話がありました。

その方は小学校に通っているお子さんが3人いらっしゃるのですが、いろいろ明暗があったようで。

いわく、

「小1のクラスでは、担任の先生に没収」
「小3のクラスでは、先生が激怒」
「小5のクラスでは、何のお咎めもなく」

とのことでした。

こういう対応のばらつきは、どうなのかなあと思いますね。

どんな文脈があったのかは分からない上での感想ですが、特に3年生のクラスで先生が「激怒」したというのが良く分からない。

事前に「チョコを持ってくることは厳禁」と言っていたのであればともかく、そんなに怒らなくてもと思います。

事前に言っていたにしても、なぜ5年生はOKなのか?という疑問は残ります。

1年生のお子さんは、泣いて帰って来たそうですよ。「楽しい思い出にしてあげればいいのになあ」というのは、気楽な第3者の勝手な言い分でしょうか。

バレンタインの日を、きっと心待ちにしていたでしょうに。「指導」するにしても、もうちょっとこう、やり方があったんじゃないのかなあ。

バレンタインにはずっと無縁だった柴原は、そんなことを思いつつ雨が降り出しそうな曇り空を見上げております。

****

続報。

****

没収した先生曰く
「もらえる子と、もらえない子がいたら不公平でしょ!」

激怒した先生曰く
「学校にお菓子を持ってくるなんて、言語道断だ!」

お咎めのない先生曰く
「今日はバレンタインだから、特別ね」

……だそうです。

うーん、そりゃないんじゃないですかねえ。

理不尽な社会の縮図と言えば言えますが、小学生からsink or swim方式でその荒波に放り込んで鍛えなくても、何か別の方法で対処できるようにしてあげれば良いのになあ、と思います。

個人的に思うのですが、人格的な面というか、人間としての丸ごとのレベルの高さが一番要求されるのが小学校の先生だと思うんですね。相手はいくらでも言いくるめられる子供たちではありますが、言いくるめられつつも、大人の詭弁を敏感に察知して不信感を募らせるものです。

大学の教員なんか、私みたいに性格ねじまがった、ルサンチマンのかたまりのような男でも何とか勤まってますからねえ。いえ、人格的にも立派な先生方は多いですけれども、私のようなはねっかえりでも許容していただいている、という意味です。

いやそれにしても、先生方のご発言を聞いている限りでは、先生方、単に「対応が面倒くさかった」のでは?いろいろと業務もあって大変だとはお聞きしていますが、何とかもう少し「軟着陸」的な対応をしていただけると個人的には嬉しかったかなと思います。

コミュニティー通訳者の皆さんとワークショップを行ないました [コラム]

2月2日の土曜日、別科の徳永先生からお話のあった、ワークショップを行ないました。

対象は日本在住の外国人の方(帰化された方もいらっしゃいました)で、実際に市役所や医療機関などでコミュニティー通訳を行っている皆さんです。

直前までいつものとおり、英語トレーニングを軸に据えたものを考えていたのですが、参加者の名簿を拝見したところ、ほとんどが中国語⇔日本語の通訳者とのことで、急きょ方針を変更しました。

使用する教材は、NHKの「やさしい日本語ニュース」。これは日本人の日本語訓練にも使えると思います。優れものです。
http://www3.nhk.or.jp/news/easy/index.html

・コミュニケーショントレーニング
・文脈を考えたアウトプット(BGM付き)
・ディクテーション
・要旨のアウトプット
・日本語のシャドウイング、オーバーラッピング
・音読
・通訳をするうえで直面した問題についてのディスカッション

会場には小野尾君とSさんが見学に来てくれたのですが、可愛い弟子たちをそのまま椅子に座らせておくほど私も冷淡ではないので、しっかりと参加してもらいました。

音読のお手本やアウトプットのお手本などは、全体の前でやっていただいたので緊張もしたでしょうが、見事なパフォーマンスで、私としても実に助かりましたよ。

それにしても、参加者のレベルが高かったです。日本語のレベルはネイティブクラス。実に細やかな表現をなさいます。私の英語力を振り返ると、「通訳者です」というのが恥ずかしくなって来るほどです。

結局、今一番必要とされているのはコミュニティー通訳者なのですが、その割には一般の通訳者のようなきちんとした労働体制も料金体系も確立されていません。

一般の英語⇔日本語通訳者のレベルをはるかに超える言語操作能力を持ち、しかも日中双方の文化と生活習慣に精通されている。こういう方々の労働が正しく報われないのは、非常に問題だと感じます。この点の是正も、「国際化」の大事なステップではないでしょうか。

ディスカッションも非常に活発で、時間がいくらあっても足りないほどでした。その後の茶話会も熱い盛り上がりを見せ、私も小野尾君もSさんも、いろんな方から素晴らしい刺激をいただきました。

18時ごろに失礼して、3人でじっくりと「反省会」を行なって帰宅。実り多い1日でした。

福井県の月間教育情報誌「明日への学び」でインタビューを掲載していただきました [コラム]

福井県教育委員会と福井県学力向上センターが発行している月刊情報誌「明日への学び」の第4号に、インタビューを載せていただきました。現時点での私の考えの集大成ですので、ご参考までに転載いたします。

<引用ここから>

「英語力、日本語力、知識量のバランスを大事に」
柴原 智幸

*英語教員は、“スキルトレーニング”を徹底し、“ビジョン”を語れ

私は、子どもたちがグローバル社会の中で活躍していくために、大事にしなければならないのは、英語力、日本語力、知識量だと考えています。

まず、英語力ですが、これは言うまでもありません。しかし、私は、巷でいわれているほど切実な問題はないと考えています。企業でも英語を社内公用語化し、TOEICで730点以上とることが必須としているところもあります。しかし、これくらいであれば、英語を社内公用語化するまでもなく頑張れば誰でも取ることができます。本当に切実な必要性があるならば、990点を取ることを必須とすべきでしょう。しかし現実には、企業の側でも、十分に英語の必要性を踏まえないまま何となく流れで実施しているように思えるのです。英語教育においても、何が必要でどう教えるべきなのかを十分吟味するべきでしょう。英語でやり取りする内容も大切です。理想としては、国語、理科、数学など他の教科との連携も密にしていくことが重要だと思います。

英語教育の一番の問題は、学んだことをどう活用するのかという点が見えづらいことです。日本で生活する限りは、日本語だけで十分ですから。教室内では、子どもたちが英語の上達による達成感を得られるような工夫が大事です。私が英語を好きになったのは、英語が外界とつながった窓だったからです。高校生の頃は、普段は、学校と家と古本屋を行ったり来たりするだけでの生活でした。しかし、県立高校の教員だった父が、東京で英語グループの集まりに送り出してくれたのです。そこでいろいろな人に出会い世界が広がりました。また、そういう集まりの中で、「高校生の割には英語が上手じゃないか」と言われてとてもうれしかったのを覚えています。

英語を教える教員にお願いしたいことは、スキルトレーニングのノウハウを蓄積しておくこと、そして、英語を使うことに関してビジョンを語ることです。スキルトレーニングとは、英語の4技能のトレーニングですが、自分の実体験を通して「こうやると効果的だ」という確固たる考えを持つことです。「この人についていけば英語はうまくなる」と生徒が思えるレベルを目指してほしいと思います。もう一つのビジョンを語ることは、「英語を使うとこういうふうに世界が広がるよ」、「英語を使ってこうしたいと思わないか」など、子どもたちがわくわくするようなことを語れるようになってほしいということです。

*小学校では“発音”、中学校では“構文”、高校では“読解力”を身につけて

小・中・高、それぞれで英語をどのように教えていくかについてですが、まず小学校では、発音が正しくできるようにしてほしいと思います。小学校の英語は、教員も専門の教員はいませんし、非常に難しいですが、勉強を重ねて子どもたちに発音指導をお願いしたいと思います。

中学校では、構文を理解できるように進めていただきたいと思います。Pattern Practice(※)というと時代遅れの英語指導法と思われていますが、コミュニケーション重視の今の日本の英語教育を補完し、正しい英語を話すトレーニングとして重要です。大きな声を出して正しい英語を話すという練習を徹底することが実践的な英語力の土台となります。

授業をすると、なかなか英語が出てこない生徒がいると思います。勇気を持って、間違いをおそれずに話させることが必要です。一方、このことだけを続けると、子どもたちの中に「間違ってもいいのだ。」という雰囲気が出てきて、単語を並べるだけの英語しか話せないことになってしまう可能性があります。通常の生活レベルを越えて、ビジネスや学術レベルで外国人とやりあうためには、正しい英語を身につけることが重要です。

高校では、文法のしっかりした英語の文章をきちんと読み解ける力を養ってほしいと思います。時間はかかっても英語を正確に読み解ける力があれば、時間の方はトレーニングで短くなり、その後は飛躍的に英語力を高めることができます。受験英語との関連では、私は英語力=受験英語力だとは思いませんが、受験英語を通してつける力は、英語学習に置いてかなり重要な部分を占めていると思います。ある程度英語力がある人は、受験英語程度はちゃんとマスターしているものです。受験英語は“受験勉強だけのもの”と思わず、英語力の向上に十分役立つものであるという認識を持つことが必要です。

※Pattern Practice 一定の文法に沿った文章について、主語を変えてみたり、疑問文にしてみたり、何通りにも言い換えてみて行う練習のこと

*英語を活かすためには“日本語力”と“知識量”が根底に必要

私が英語力以上に危惧しているのは、意外と見過ごされていますが、日本語力と知識量です。

まず、我々は、日本語で生活しているのだから、日本語力は十分あると考えていますが、実は、日常生活を日本語で送ることは、それほど高い日本語力がなくても可能です。しかし、自分の考えを言葉にする、相手に自分の考えを伝えるというのは、そのレベルでは対忚できません。日本語のネイティブとしては、日本語の言語操作能力を磨き、十分にコミュニケーション力を持たせることが必要です。しっかりとした母語の力があるからこそ、英語でコミュニケーションする際に、日本語のコミュニケーションと違う点、気を付けるべき点に注意が払えます。例えば、外国人とのビジネスなどの場合、日本人同士なら「皆まで言うな」で分かりあえるところですが、細部まで伝える、決めるということが大事です。世界には、自分たちと違う文化やマインドを持った人たちが多数いるのです。学校生活の中で、ロジックを立てて正しく日本語で語る習慣を、子どもたちに身につけさせてほしいと考えています。

知識量についても重要です。この知識量には、思考力なども含みます。我々の人生に試験範囲はありません。答えの出ない問題もたくさんあります。英語ができても、自分たちの歴史、昨今の社会情勢などを理解していない若者が多数います。例えば、最近のシリアの問題があります。シリアの人たちは、情報統制が敷かれている中で、You Tubeなどを使い、必死に英語で現状を伝えています。しかし、流暢な英語を話す者でもこうしたことを知らない人がたくさんいる。シリアの人たちが、母国語でなく英語を使っているように、英語はこうしたコミュニケーションに使えてこそ有効なのです。

日本の歴史についても、認識の足りない若者が多い。正しい歴史認識もなく、外国人と何を話すと言うのでしょうか。

知識量がないと、英語のコミュニケーションの内容も“スモールトーク(雑談)”になってしまいます。社会に出てから必要なのは、このような英語力ではありません。スモールトークを超えて話せるようになるためには、日本語、英語で様々な知識を手に入れることが必要です。“貪欲に知識を得る”そういう気持ちの強い子どもたちを育ててほしいと思います。

*英語教育は、ほかの教科とも連動している

知識量を増やすということを学校の授業で考えてみると、国語、社会、数学(算数)、理科、総合的な学習、道徳など、それぞれの教員が、子どもたちにできるだけ多くインプットし成長させていく必要があります。蜘蛛の巣を想像してください。この活動は長いたて糸をつくっていくことにあたります。そして、それぞれの知識を組み合わせて使えるようネットワークしていくことが必要です。蜘蛛の巣のよこ糸ですね。たて糸が短いと英語が流暢でもスモールトークしかできません。よこ糸がないと知識が深まりません。英語教育はほかの教科とも密接な関係があります。

*ALTの活用や英語キャンプなどの実践について望むこと

福井は、生徒一人当たりのALTの数が日本一多いということで、とてもすばらしいと思います。ALTには、子どもたちが正しい発音を行うよう徹底して指導してほしいと思います。大きな関門として立ちはだかってほしいのです。褒めて伸ばすことも必要ですが、何でも「Good!」と言ってしまうと、正しい英語が話せなくなります。小学校、中学校でも徹底してほしい。高校レベルで修正していくのは非常に大変です。教員は、ALTに対し、子どもたちが正しい発音で話せるようになることを具体的な目標として与え、サポートしていってほしいと思います。

教員がALTに頼りすぎるのはよくありません。例えば、外国人が「こんばんは。」を正しく発音できないとします。その時に、私に正しい「こんばんは。」の発音方法を教えてほしいと言われても対忚できない。こうした問題に適切に対忚できるのは、「こんばんは。」の発音をマスターした外国人です。子どもの発音の弱点が分かったら、その克服に向けて、日本人である教員が手助けしていくことが重要です。英語キャンプもすばらしい。しかし、生徒たちが、“外国っぽい雰囲気を味わった”で終わらないように注意していかなければなりません。スモールトークで終わってしまわないように、経済情勢、社会情勢をテーマに議論を深めてほしいと思います。

*教員には、自分をさらけ出して子どもたちと対峙してほしい

以上、英語教育に関し、私なりの所見を述べてきました。教員も今までのやり方を変えなければならないかも知れません。自分が作りあげてきたものをいったん解体して、もう一度作り上げる勇気が必要となります。新しいことへの挑戦は、生徒に対し、自信のない自分を見せることになります。そうしたことに恐れも感じるかも知れません。

でも、それでもいいのではないでしょうか。英語の教員には、悪戦苦闘する後ろ姿を生徒に見せていってほしいと思います。勉強不足で分からないことがあるのは格好悪いことですが、私も授業では、そうした姿を含めて極力さらけ出すようにしています。苦悩しながら、教員が必ず次の機会に課題を克服していく。そうした姿を見れば、生徒も努力することについて学ぶはずです。

私も皆さんと立場は違いますが、教師としての職を選んでいます。プロとして、そうした頑張りも楽しめるようになりたいと考えています。

(2012年12月10日 ご本人にインタビュー)

<引用ここまで>

福井県で英語のワークショップおよび授業見学を行ないました [コラム]

ちょっと前のことになりますが、1月31日の木曜日から2月1日の金曜日にかけて、福井県に出張してきました。

福井県の西川知事が私の「攻略!英語リスニング」をお聞きになっていて、NHKを通して面会の打診があったのが11月で、11月の末に会長や学長と共に、東京で知事にお会いしました。

その時に「出来れば福井県の英語の先生方と直接お話がしたい。英語トレーニングのようなことも、需要があればやってみたい」とお話したところ、すぐに教育局からご連絡があり、今回のワークショップが決まった次第です。

最初は留学を控えた高校生の皆さんにも講演と英語トレーニングを、というお話でしたが、知事のご意向もあり、今回は中高の英語の先生方のワークショップに専念することになりました。

新幹線で米原まで行き、きれいな銀世界をみながら特急に揺られること1時間で、快晴の福井に到着。駅のコーヒーショップでワークショップのステップの最終確認を行って、東京でもお会いした県庁の指導主事である田中先生と再会し、公用車で会場である国際交流会館に向かいます。

音響などの確認をしているうちに、先生方が続々と集まりはじめました。申し込みは75人に達したとのことです。その熱心さに頭が下がると同時に、期待に応えねばと緊張感が高まります。

ワークショップそのものは、

・教員として、どのような姿を教え子に見せるか
・コミュニケーション練習
・発音練習
・ディクテーション
・シンクロ・リーディング
・シャドウイング
・オーバーラッピング
・英文暗唱

などを一通り行ないましたが、あっという間に時間が経ってしまい、後半はかなり駆け足になってしまいました。

最後に先生方から寄せられた「悩んでいる点」について話し合いましたが、本来はディスカッションという形で意見交換をと考えていたものの、私の話の持って行き方がまずく意見があまりあがらなかったため、私からのご提案と言う形でお話をしました。これは要改善点ですね。

その後、県庁に向かって西川知事とお話をして、ホテルへ。夜は懇親会までしていただきました。

本来は日帰りの予定だった出張でしたが、私が「福井県の高校の授業を拝見できませんか?」とお願いしたため、翌2月1日は、県立高志高校の英語の授業の見学をさせていただきました。

オールイングリッシュの授業で、テンポよく活動が続いていました。「貧困」がテーマなのですが、実際にアフリカで援助活動を行ったALTのスピーチを教材に使うなど、非常に実践的な内容で、大学の授業でも取り入れてみたい活動もありました。

授業後の検討会では、発問の仕方やペアの使い方などを中心に少しお話をさせていただきました。

その後、田中先生と昼食をとって福井を発ちましたが、実に有意義な2日間でした。私が生まれた鳥取と同じ、日本海に面した県ということで、ちょっと似たような雰囲気も感じまして、初めて訪れた気がしませんでした。

先生方も、「シャイなのだけれども、着火すると燃え盛り方がすごい」という点で良く似ていましたね。ただ、あえて相違点を探すとすると、福井県の先生方は「何でこうするかと言うと、これこれという理由がありまして……」と説明すると、大きく変わるのですね。鳥取の場合は、もう少し「情に訴える」と言いますか、「さあ、全員でやろうじゃないですか。これできっと壁が破れますよ」みたいな感じで心理的に寄り添うと大化けしてくださいます。

嬉しいことに、「夏もぜひ指導にいらしてください」というお言葉をいただきましたので、スケジュールを調整してぜひとも再訪したいと思います。

最近思うのですが、日本の英語教育に変革をもたらすのは、こういう、「地方から起きて中央に押し寄せるような動き」なのではないでしょうか。何らかの形で、プラスの変化を起こすお手伝いが出来たら、本当に嬉しく思います。

柴原 智幸

(すみません。無我夢中の2日間で、私としたことが記録写真を撮り忘れておりました!)

「不識塾」が、非常に気になっています [コラム]

「不識塾」、というリーダー養成塾があることを、妻に教えられました。

http://www.fushikian.jp/index.html

その軸となっているのが、リベラルアーツ教育。つまり、教養教育です。

通翻課程が出来てから丸4年近く、「すべてを学びに」をモットーに歩んできましたが、その際に常に柴原の頭にあったのが、旧制高校的な、外国語と教養教育を中心に据えた環境です。

それに非常に近い理念の組織があったんですね。

<引用ここから>

「不識塾」は、哲学、歴史、文化、宗教、倫理などリベラルアーツ教育を通じて、確固たる歴史観と大局観を養い、以って自身のアイデンティティを確立するとともに、日本の立ち位置を正しく世界に示し、グローバルな場において尊敬される真のグローバル経営者を育成することを目指します。

「不識塾」においては、「物事の実体」は表面的な知識だけでは「識り得ないもの」(不識)であり、それはそれぞれの道を極めた先生方との知的・人間的な交わり、塾生間の切磋琢磨、読書と思索の習慣などを通じて得られる「洞察力」の中から見え始めるものと考え、それを塾の基本方針とします。 

<引用ここまで>

すぐにも飛び込みたいのですが、やはり5百万円以上をポンと出せる立ち位置にはおりません。

見学でも出来ると良いのですが。

まずは、研究室でいろいろな本を読んで考えるところから始めたいと思います。

柴原 智幸

アラバマ州人質立てこもり事件 [コラム]

アラバマ州で先週から続いていた、人質立てこもり事件が解決しました。人質だった5歳の男の子は無事監禁先の地下室から救出され、容疑者の男性は、突入したFBIに射殺されたようです。

ニュースの通訳準備をしながら、いろいろなことを思います。

子供の親としては、人質の男の子が救出されたことは嬉しく思います。しかしその一方で、容疑者の男性は、どんな心の闇を抱えていたのかなあ、と思うのです。

ベトナム帰還兵で、近所では変わり者で通っていたというのですが、これがベトナムで受けた心の傷が原因の事件だとしたら、戦争が終わってから40年も経ってから、戦争の犠牲になったという見方も出来ます。

ニューヨークタイムズのサイトでは、“Based on our discussions, he feels like he has a story that is important to him, although it’s very complex,”という保安官の言葉が紹介されています。

(記事全文はこちら)
http://www.nytimes.com/2013/02/05/us/boy-is-safe-after-alabama-hostage-standoff.html?_r=0

また、今回の事件で命を落としたスクールバスの運転手さんの行動にも、いろいろ考えさせられました。

容疑者と射殺された運転手さんは、顔見知りなんですよね。数日前に、運転手さんが容疑者の男性に、卵と手作りのジャムをあげたばかりだったそうです。

事件当日は、容疑者が「ウチでとれたブロッコリーをあげる」といってスクールバスを止めて乗り込み、人質をよこせというメモを運転手さんに手渡したのだそうです。

その後の運転手さん(Polandさん)の行動です。

Mr. Poland opened the emergency door in the back of the bus, and as the children escaped he blocked Mr. Dykes’s way; Mr. Dykes shot him four times, killing him.

何というか、人間の良い面と暗黒面を、一度に見る思いです。人として本当に尊敬しますが、こういう「英雄」が現れない社会が一番だとも思います。

人間、放っておいたらなるべく幸せになろうとするものなのではと思うのですが、この容疑者の男性の心の歯車は、いったいどこで狂ってしまったんでしょうか。

容疑者の男性の行動は、決して許されるものではありませんが、それでも何かすっきりしない思いがあります。

「たられば」を言っても仕方がないとは、頭では分かっています。それでも、65歳のおじいさんの"story"に誰かが耳を傾けていたら、ひょっとすると誰も命を落とさず、平和な田舎町は平和なままだったのではないかな、と思わずにはいられません。

FBIの突入は、仕方の無いことだったのだと分かってはいますが、そういう選択肢を取らざるを得ないことに、寒々とした思いを抱くのです。

その一方で、とらわれていたのが自分の子供たちだったら、妻だったらと考えると……。

人間とは、矛盾が服を着ているような生き物なのだ、と思います。

超訳『インタナショナル創立宣言』 [コラム]

以前から読んでいる「紙屋研究所」という書評サイトがあるのですが、そこで先日、非常に面白いエントリを読みました。
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20130117

こちらの中にある「超訳『インタナショナル創立宣言』」という物ですが、これはすごい。

翻訳には「賞味期限」があると私は思うのですが、すっかり腐敗してカビだらけで「もう食えんですよ、これは」となっていた文章が、これでよみがえったと思います。

原文はこちらです。

http://www.marxists.org/archive/marx/works/1864/10/27.htm

ぜひ読んでみてください。面白いですよ!

柴原 智幸

「攻略!英語リスニング」 新年会 [コラム]

1月17日。

講師をしているNHKラジオ「攻略!英語リスニング」の新年会が行われました。

渋谷のフレンチレストランで、料理の味もきめ細やかなサービスも最高でした。集まった方々も本当に楽しい方ばかりで、心がほっこりするひと時でしたね。

こういう環境で仕事が出来るというのは、幸せなことだなあ、と思っております。

今まで学んできた経験を、リスナーの皆さんと分かち合いたい。単なる「対策講座」ではない、学びそのものを楽しむような気風を醸成したいという思いで講座を刷新してから、そろそろ丸2年になります。

私のワガママとも言える方針変更を温かく見守って下さり、仕事を進めるのが本当に下手な私をきめ細かくサポートして下さる「攻略!英語リスニング・チーム」がいらっしゃるからこそ、私は「講師」なんて偉そうな座に収まっていられるのです。

私は大学を2回も留年し、務めていた英会話学校も倒産し、大学の教員になりたくて始めた就職活動は足かけ8年かかりました。20連敗以上は数えていませんが、おそらく軽く30連敗ほどしています。

全くエリートでも順風満帆でもない人生を歩んできましたが、その分「私が講師で良いのかな。もっと他にふさわしい方がいるのではないかな」と思いつつ、NHKから「もっと良い方がいらっしゃるので、今年度いっぱいで結構です」と言われるまでは、続けさせていただこうかなと、ずうずうしく思っております。

このブログを読んで下さる方の中には「人生がなかなか思い通りの展開にならない」と苦しんでいらっしゃる方もいるかもしれません。ですが、誠実に何かを続けていれば、意外なほど「救いの神」が現れて、何とかして下さるかもしれません。もちろん現れないときもありますが、それはそれで、意外なほど何とかなるものなのではと思います。

しかしまあ、人生ままならないというか、そうやって私が幸運に恵まれて指導してきた通翻課程が、4月からどうなるのかは、通翻生の皆さんはご存知の通りですよね。

でも、それも含めて「学び」だと思っています。目の前に壁があることは確かですけれども、なーに、壁なんかぶち破るか乗り越えるか下をくぐるか、あるいは迂回しちゃっても良いのです。

最近思うのですが、上手く行くかどうかはともかくとして、逆境に対して誠実に、そして元気に「のた打ち回る」ことは、意外に大事なんじゃないかな、と。

そんなわけで皆さん、一緒に張り切ってのた打ち回ろうじゃないですか。

……いやいや、すっかり脱線してしまいましたが、とにかく、そんな不出来な私をガッチリとサポートして下さる「攻略!英語リスニング」チームの様子をご覧くださいませ。

柴原 智幸

<写真の取り方が悪いのですが、実物はもっと彩りが良くて、とってもおいしかったです>

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<頼もしい皆さん。私の右がナレーターのキャロリンさん、左が同じくナレーターのクリスさんです>
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*おまけ

新年会に先立ち、CDの収録と、英文そのものの収録があったのですが、NHKのスタジオのドアに張り紙がありまして、それが傑作でした。思わず、「クリスさん、キャロリンさん、ちょっとちょっと!」と呼び寄せて3人で盛り上がってしまいました。
DSC03323blog.jpg

「箸置き」を英語で [コラム]

息抜きついでにもう一つ。

今朝、皿を洗い終わって洗濯物を干していた妻の応援に行くと、すでに洗濯物は干し終わってAFNを聞きながらアイロンをかけていました。

ちょうど日本文化についての番組だったらしくて、お箸の使い方のマナーについて話していたそうです。それで妻が、

「ねえねえ、『箸置き』って、何ていうか知ってる?」

と言うので尋ねてみると、"chopstick rest"なのだそうです。そう言えば、何度か聞いたことがありますね。

foot restなんかと同じで、「横に(水平に)して置く」という感じです。これが「立てて置く」のであれば、standということになりますね。foot stand……というと、うーん、ちょっとPC的にどうかというたとえになるかもしれませんが、義足を外して立てかけておく道具というか入れ物、みたいな感じになりますか。

お箸をコップなんかに立てて収納する場合もありますが、あれはやっぱり、chopstick standってことになると思うんですよ。

いえ、ただそれだけなんですが……。

さてと、仕事仕事。

柴原 智幸

雪、ですねえ。 [コラム]

何だかすごい雪になってきました。東京では珍しいぐらいの降り方です。

成人式に振り袖やおろしたてのスーツを着て行った新成人の方が、ちょっと気の毒になります。滑って転んだりしないと良いのですが……。

雪というと思いだす曲がありまして、私が大学生の時に流行っていたリンドバーグの「Voice of Angel」って曲なんです。歌詞がなかなか良いんですよ。

http://www.youtube.com/watch?v=jmYnzd8Cylo

……ん?何かこれ、前にも書いたような。

と思って自分のブログを検索してみると、ははは、ありました。

http://tsuhon.blog.so-net.ne.jp/2012-01-23

何だか、やけに感傷的な駄文を連ねていますが、あの頃何かヤなことでもあったんかな。もう忘れてますが。わははは!

皆さんどうぞ暖かくしてお過ごしください。

さて、翻訳に戻らねば。

柴原 智幸

PEACE JAM [コラム]

今朝の朝食に出たジャムは、妻がPeace Jamという団体から購入したものでした。

どんな団体だろう?とリーフレットを見てみたところ、こう書かれていました。

<引用ここから>

東日本大震災で立ち上がった、赤ちゃんとママを救済する団体・ピースジャムは、「とにかく赤ちゃんのおなかは減らさないこと」をモットーに、主に宮城県気仙沼市や南三陸町、岩手県陸前高田市を中心に活動してきました。震災直後には自らの足で一軒一軒きめ細かなニーズ調査を行い、要支援赤ちゃんとママにおむつやミルクなどのベビー用品を直接手渡してきました。

<引用ここまで>

NPO支援ピースジャム 物資支援ホームページ
http://peace-jam.jp/

活動内容について
http://peace-jam.jimdo.com/

3種類あるジャムのうち、今日はアップルシナモンをいただきましたが、実においしかったですよ。

注文は
http://peacejam-shop.ocnk.net/

または

0226-29-6583

まで。

支援というのは肩ひじ張って行うものとばかりは限りませんよね。おいしいジャムを味わいながら、という支援の形もあるんだなと思います。

興味を持たれた方は、ぜひ召し上がってみてはいかがですか?

柴原 智幸

アーサー・ストックウィン先生からの年賀状 [コラム]

妻が昔、オックスフォード大学日本事務局で働いていた関係で、オックスフォード大学の名誉フェローであり、日本政治の研究家でもあるアーサー・ストックウィン先生から、新年のご挨拶が届きました。

妻によると、謙虚で穏やかな先生なんだそうです。

朝日新聞Globeの、ストックウィン先生の記事
http://globe.asahi.com/meetsjapan/100628/01_01.html

ストックウィン先生の動画。いやー、いかにも「オックスフォードの先生」という話し方ですねえ。
http://vimeo.com/8030007

この本は、ストックウィン先生が妻に下さったものが妻の本棚にあります。春休みに読んでみるつもりです。
http://www.japantimes.co.jp/text/fl20051120rp.html

さて、イギリスから届いた封筒の宛名は、すべて日本語。非常にイギリス人離れしたというか、日本人が書いたとしか思えない漢字で宛名が綴ってあり、中のカードには「謹賀新年」の言葉が。

それとは別に、クリスマスメッセージも添えられていたのですが、お父様の従姉妹のお話が良かった。我々夫婦だけにとどめておくのももったいないので、その部分を引用します。

Arthur Stockwin先生の2012年クリスマスメッセージより
<引用ここから>
We have one sad piece of family news. Arthur went to a birthday party for his father’s cousin, Sylvia, in July at a nursing home in Bexhill-on-Sea, but she died a month later and we attended her funeral. She had reached the remarkable age of 102 and had seen two world wars, the Cold War, men (not yet women) on the moon and dazzling advances in technology. When she was born, cars were just taking over from horse-drawn vehicles, women lacked the vote in Britain and nearly everywhere else, and television was not yet dreamed of. When she died the Internet, the smart phone, the credit card, social media and the blogosphere between them seemed on the way to replacing the post office, the bookshop, the bank cheque and the personal letter. During her lifetime, world population increased from one and three quarter billion to seven billion – a far more sobering development. Arthur, as her only surviving relative, was one of three who spoke of her remarkable life at her funeral.
<引用ここまで>

実に味わいがある文章ですねえ。「攻略!英語リスニング」で、丸ごと使いたいです。まあ、いろいろな意味で難しいでしょうけれども。

こういう文を読んで味わうために、英語をやっているんだ、と思います。

訳文をつけたいところなのですが、いかんせん当方仕事が修羅場状態なので、余裕が出来たら付け足します。気長に待っていただければ幸いです。たまーに、このエントリをのぞいてみてください。訳文が加わっているかもしれません。

柴原 智幸

クリスタ・マコーリフさん [コラム]

「クリスタ・マコーリフ」と言って、「ああ、あの人ね」と反応できる人は、かなりの宇宙通だと思う。

「チャレンジャー・7(セブン)」のうちの一人だと言えば、「ひょっとして?」と思う方も多いかもしれない。

このクリスタ・マコーリフさんのことが、ここ1週間ほど頭を離れない。きっかけは年末に書いていたEnglish Journal向けの原稿だった。その中で、私はこんなことを書いている。

<引用ここから>

*やる気が出ないときなどの、モチベーションアップ法

 私は「通訳者・翻訳者」そして「教師」ですので、苦労したり志半ばで倒れたりした先人について検索をかけてあれこれ読んでいると(日本語・英語問わず)、「ご安心ください、あとは私が引き継ぎます!」というファイトがわいてきます。
 例えば、第2次世界大戦で通訳兵として従軍した日系人の皆さん、チャレンジャー号で殉職された高校教師のクリスタ・マコーリフさんなどですね。

<引用ここまで>

マコーリフさんは、1986年1月28日、スペースシャトル・チャレンジャーが打ち上げ直後に爆発した際に殉職した7人の乗組員のうちの1人で、シャトルに乗り込む初の民間人だった。
(ウィキペディアの「チャレンジャー号爆発事故」のページ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E5%8F%B7%E7%88%86%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85

(ウィキペディアのマコーリフさんのページ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%95

青山学院大学で通訳の授業を持っていた時に、この事故直後にレーガン大統領が行ったスピーチを教材にして逐次通訳を行ったことがある。このスピーチも名スピーチとして名高い。

(American Rhetoricというサイトでは、8位にランキングしている。このサイトは有名なスピーチの動画、音声、スクリプトなどがダウンロードできるので、英語学習にも非常に役立つと思う)
http://www.americanrhetoric.com/speeches/ronaldreaganchallenger.htm

レーガン大統領は、事故を目撃した子供たちに、こう語りかけている。
I know it's hard to understand, but sometimes painful things like this happen. It's all part of the process of exploration and discovery. It's all part of taking a chance and expanding man's horizons.

メッセージをくみ取って日本語で再表現するとすれば、こんな感じだろうか。

「どうしてこんなことが、と思っていることでしょうね。でも、時として、このような辛いことは起きるものなんです。未知の世界を探ることには、このようなことがつきものなんですよ。人間の知の世界を押し広げて行く上で、避けられないことなんです」

毀誉褒貶はある人物だし、この発言にしても、何らかの打算が皆無だったとは思えない。

でも、それがなんだというのだろうか。打算があったにしても、このメッセージは重く深く響く。あまり言いたくないが、このような時にこのようなことが言える政治家が、日本にはいるだろうか?

そして、そういう政治家を、我々は選んでいるだろうか?

さらに、そういう政治家を選べるような教育を、我々は子供たちにしているだろうか?

クリスタ・マコーリフさんは高校の先生だった。もしマコーリフさんが今も生きていたら、どんな感じだったかなあ、などと思ってみる。とても軽やかに生きていらっしゃったのではないだろうか。以下のサイトには、マコーリフさんの発言がいろいろ引用されている。
http://www.brainyquote.com/quotes/authors/c/christa_mcauliffe.html

We sat around one night and thought that people are going to look back and say, "I can't imagine there was a lot of excitement about HER going up!"
(ある晩こんなことを考えたんです。きっと未来の人たちは今回の打ち上げのことを振り返って、「あの女の人が宇宙に行ったってことが、あんな大騒ぎになったなんて、今じゃちょっと想像つかないなあ」って言うでしょうねって)

今では女性宇宙飛行士も全く珍しくなくなった(厳密に言えば、マコーリフさんは「宇宙飛行士」ではないが)。マコーリフさんのバックアップだった、バーバラ・モーガンさんは、「教師」としてではなく「宇宙飛行士」として2007年に宇宙に行った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%B3

人間は、総体としては常に歩みを止めず、前に向かって歩いてきた。その歩みに、数多くの細胞の一つとして関わって行きたい、と思う。

Reach for the Starという、マコーリフさんを扱ったドキュメンタリーのDVDを、アマゾンで購入した。アメリカからの輸入品なので、リージョンコードは1だが、大学にはリージョンフリーのDVDプレイヤーがあったはず。春休みに、通翻課程有志と鑑賞したいと思うのだが、どうだろうか?

また、「チャレンジャー・センター」という教育施設と言うか、教育団体もあるようで興味深い。
http://www.challenger.org/

Youtubeの動画(前述のドキュメンタリーからの抜粋だろうか?)のコメントには、こんなものがあった。
http://www.youtube.com/watch?v=uZfKrXp-ghM

<引用ここから>

I was named after Christa! I was thought to be a boy the whole time while my mother carried me. However, I shocked my family coming out as a girl. With no girl names picked out, my father thought because Christa McAuliffe was such an amazing talented person that that would of course be just the name of his 2nd daughter. I was born 4 days after this tragic event and grew up learning all about her and space. Ive been fascinated with space for years now. RIP to all aboard.

私の名前は、クリスタさんから頂いたんです!母のお腹にいる間中、みんなずっと私は男の子だろうと思ってたんですよ。ところが、生まれてみたら女の子だったので、家族はビックリ。女の子の名前は全然考えてなくて、父がクリスタ・マコーリフさんは本当に優秀な人だから、2人目の娘の名前にはピッタリだって思ったんですね。私はこの悲劇の4日後に生まれて、クリスタさんや宇宙についてあれこれ学びながら大きくなりました。ずっと宇宙にはあこがれ続けているんです。乗組員の皆さんのご冥福をお祈りします。

<引用ここまで>

ひょっとしたら、Reach for the Starのスクリプトなのでは?というものも見つけた。
http://edition.cnn.com/TRANSCRIPTS/0601/22/cp.01.html

アメリカのことだから、英語だと情報が集まりやすいのは当然なのだけれど、やはり英語がある程度使えて実に助かった。

通翻課程の皆さんも、こんな具合に英語を道具として活用して、自分の興味の対象を掘り下げて、考えて行って欲しいと思う。

ちょっと内容にまとまりがないが、もともと頭の内圧を下げるための走り書きなので、これにて失敬。

確かにプロセスは大切なのですが…… [コラム]

このところ、あまり更新をしていないにも関わらず、ブログへの訪問者が何だか多いのですよね。お正月だというのに、こんなブログを眺めていらっしゃるのでしょうか?

いえ、別にたくさん来ていただいた方が嬉しくはあるのですが、なんでだろう?と思いまして。そうは言っても、某掲示板サイトなどにURLをさらされたにしては、それほどアクセスは増えていません(いや、さらさないでくださいね!そういう形でのアクセスアップは全然、全く、これっぽっちも望んでおりませんので)。

管理者ページでは、どんな検索語でこのブログにたどり着いたかが分かるのですが、ちょっと気になってそちらもチェックしてみましたが、特にどうということはありませんでした。見慣れた検索語が並んでおります。

……が、良い機会なので、一つ確認をお願いいたします。

確かにプロセスは大切ではあります。

ありますが、

我々は「通訳・翻訳『課程』」でありまして、

決して「通訳・翻訳『過程』」ではないのですっ!

通翻課程に所属している学生でも間違えることがあるので、あまり言えた義理ではないのですが、通翻課程以外の皆様にも、ぜひ正確な名称を覚えていただければ幸いです。

大事なことなので、もう一度申し上げますね。

誤 通翻過程 ×
正 通翻課程 ○

どうぞよろしくお願いいたします

柴原 智幸

謹賀新年 [コラム]

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というわけで、明けましておめでとうございます。

今年も例年通り、私の両親宅に帰省(と言っても、徒歩5分ぐらいなのですが)して、年を越しました。

1月1日には近くの神社に一家6人でお参りをして、夜はすき焼きを食べてビールをたらふく飲み、あれこれ話しました。

<大晦日の様子>
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<おせち料理>
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<お正月の様子>
DSC03243blog.jpgDSC03249blog.jpgDSC03261blog.jpgDSC03265blog.jpg

ちなみに、本当にどうでも良い話とは思いますが、私の初夢は、以下の通りです。(あんまり強烈な夢だったので、起きてからメモに書きつけました)

***

出撃する戦艦大和。それをカメラが上から俯瞰。

場面切り替わって、対空銃座。「一弾入魂」とか壁に書いてある。暴走族みたいなノリだなあ、などと思う。

また場面切り替わって、敵機来襲。銃座が撃ち始めるが、当たらない。ドン、ドン、ドン……と発射音が響き、防盾の陰でうずくまっている僕の背中に空薬莢のようなものが、コン、コン、コンと当たる……が、何だこりゃ。

12.7センチ高角砲にしては発射速度が速すぎるし、25ミリ機銃にしては遅すぎる。

などと思っていたら、場面変わって、どうも大和ではない艦の環境の見張り員になっているらしい。前方から一列で泳いでくるのは……人魚?

な、なんだそりゃ!?迎撃せねば、と焦るものの、武装をほとんど降ろしていることを思い出す。

まずい……と思っているうちに、なぜか浅瀬に勢ぞろいした人魚の群れと対峙している。なぜかスカートや着物を着ている人魚たち。

部下の女性隊員が「かわいい、かわいい」とキャーキャー騒いでいる。ついに数人がスカートや着物の裾をぺらっとめくって、「あー、足の人もいるし、尾びれの人もいるー!」と大騒ぎ。

「こら、君ら、やめろ!」と制止しつつも、足の人と尾びれの人とはどう違うんだろう?などと考えていた。

……という初夢。な、なんだそりゃ。

***

1月2日。

妻と両親と4人であれこれ話していて、何だか自然と戦争時代の話になりました。思い返してみれば、昨年も似たような展開でしたね。

http://tsuhon.blog.so-net.ne.jp/2012-01-08-2

今回は、確か私鉄と国鉄(と言って分からない人もいるでしょうね。JRの前身です)の話から、だんだんそんな話になって行きました。

話がかなりあっちに飛びこっちに飛びしていたので、正確には覚えていませんが、父の疎開前の話がありました。父は例のドゥーリトル空襲を機に、福島の三春(細かいことを言うと古道)に疎開することになったのだそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AB%E7%A9%BA%E8%A5%B2

疎開したことは聞いていましたが、その詳細は知らなかったので、あの歴史的な空爆が、自分の父親の人生にも影響を及ぼしたのだなあとしみじみ思いました。

ちなみに祖父は三軒茶屋でお砂糖屋さんを営んでいて、今は昭和女子大になっているあたりも、みんな練兵場だったそうです。そんなわけで、父が幼いころは家の周辺でよく兵隊さんが更新していたとか。

父の叔父(私の祖母の弟)は軍医大尉だったので、叔父を見ると行進を率いている伍長や軍曹が「歩調をとれ!」と号令をかけて敬礼を送ってきたとのこと。

で、兵隊さんもちゃっかりしているというか何というか、祖父の店の前で休憩をするんだそうですね。そうすると父は祖母に言われて、兵隊さんに氷砂糖などをお出ししたそうです。

兵隊さんが父に「兵隊さんも、飴は持ってるんだよ」と言って、ゴボウ剣と呼ばれた銃剣の、練習用に先を丸めたものを見せてくれたと話していました。まあ、まだまだのどかな時代だったのですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%B9%B4%E5%BC%8F%E9%8A%83%E5%89%A3

以前に「志村正順のラジオ・デイズ」という本を読んだ時に、学徒出陣や長嶋茂雄の天覧試合などのアナウンサーも務めた志村アナウンサーが、空襲についてのアナウンスをする際に「もっと憎々しげに読め」と言われたという話を父にして、「父さんも、そういう放送を聞いたことがある?」と尋ねると、意外な答えが返ってきました。

戦争のため、以前は来ていた電気が来なくなり、疎開先はランプの生活に逆戻りしていたとのことです。それでもたまには電気が来ていたのか、ラジオを聴くこともあったそうですが、福島あたりにはアメリカの空母艦載機が良く飛来しており、野良仕事をしている人が、機銃掃射を受けることが多かったとのこと。

「今日はどこそこで1人が亡くなった、という話も聞いたし、ススキの中に隠れて九死に一生を得た、なんて話も聞いたなあ」

と言うので、

「でも、それって、完全に戦争犯罪だよねえ。武器を生産する工場で働いていて、空襲を受けるとか、そう言うのとは違うんだから……」

と言ったのですが、

「まあ、そうだよなあ。もちろん厳密に言えばそうなんだけど、当時は『戦争なんだから、こういうこともあるよな』って思っていたよ」

とのことでした。

何だか他にもいろいろと話はあったのですが、とりあえずこんなところで。新年からちょっと重くなってしまいまして恐縮です。

柴原 智幸

ロジャー・ハイフィールド先生 [コラム]

妻が、オックスフォード大学日本事務局で働いていた関係で、浩宮様がオックスフォード大学に留学した時に、指導教官を務められたロジャー・ハイフィールド先生から今でもクリスマスカードが届く。

BBCに勤めていた時代に、妻に連れられてオックスフォード大学まで行ったのも懐かしい思い出だ。当時ですらもう80歳近かったのではないだろうか。大学内にある先生のお住まいにもお邪魔したが、とてもcozyな部屋だったという印象がある。

<先生からのクリスマスカード>
DSC03229blog.jpg

署名の前にある言葉が分からなくて、妻が一生懸命辞書を引きまくったが、

nonagenarian=90歳代の人

の意味だった。合わせて他の年齢の呼び名が知りたい方は、以下のサイトを参照されたい。

http://wiki.answers.com/Q/What_is_a_20_year_old_in_genarian_terms

「プリンス・ヒロがねえ……」などと懐かしそうに語るハイフィールド先生と一緒に、オックスフォード大学の教職員食堂で食事をさせていただいたのも、今にして思えば実に貴重なひと時だった。それこそ、「ハリー・ポッター」のようなローブを着た先生が、いろんなお話を穏やかにしつつ、昼食をとっていたのだ。なんだか数百年タイムスリップをしたようだった。そんなイギリスの伝統の重みが、ちょっと懐かしい今日この頃。

それにしても、90歳かあ。人生は長いな、と思う。そして、その長い人生を、自分なりに最大限に充実させていきたいなあと思う。ハイフィールド先生のように。

六然(りくぜん) [コラム]

先日、論語塾に行った時に、壁にいくつも書がかけてあって、その中で「六然」という言葉が心に残ったので、そのうちの最後の2つを手帳にメモしてきました。

ググってみたところ、きれいにまとめてあるサイトがあったので、引用します。

http://www.mobilkubota.com/manabi/26.html

<引用ここから>



六然(りくぜん)


自処超然(じしょちょうぜん)
 自分自身に関しては、世俗の物事にとらわれないようにすること

処人靄然(しょじんあいぜん)
 人に接しては、相手を楽しませ心地よくさせること

有事斬然(ゆうじざんぜん)
 何か事があるときは、ぐずぐずしないできびきびとやること

無事澄然(ぶじちょうぜん)
 何も事がないときは、水のように澄んだ気でいること

得意憺然(とくいたんぜん)
 得意なときほど、静かで安らかな気持ちでいること

失意泰然(しついたいぜん)
 失意のときにも、泰然自若としていること


崔 銑(さいせん、中国古代の学者)の残した言葉と言われている
安岡 正篤(やすおかまさひろ)氏の座右の銘

<引用ここまで>

私の場合、最後の2つの中でも特に「失意泰然」が非常に難しいなあと思います。もちろん、他の5つが出来ているというわけではないのですけれども。

柴原 智幸

英語教育の「ニーズ」としての通訳教育の終焉 [コラム]

通翻課程の皆さん

小野尾君とのメールのやり取りを以下に引用します。

food for thoughtということで、ね。

柴原 智幸

<以下、引用>

柴原先生

こんばんは小野尾です。

風邪をひいていたのですが、一回治り、再びまた熱が38。5度まで出てしまいました。
なかなか治りが遅いので病院へ行き、今はだいぶ熱も下がっています。

勉強をしなくてはいけないときに、このように具合が悪くなるのはつらいものですね。
もちろん今日の飲み会も(柴原注:野口君主催で、通翻課程の忘年会があったのです)キャンセルしました。

先日、名古屋のコンテストで入賞した某大学の方とスカイプをしました。
そして合宿へ誘いました。

卒業旅行の日程がまだ決まっていないらしいのでわからないそうですが、2時間ほど話して、うまく誘えたように思えます。

話している間に聞いた話ですが、某大学でも来年から通訳の授業が、学校の方針でなくなってしまうそうです。

そのとき熱もあったので、詳しくは覚えていませんが、感じたことは、学校側の「通訳に対する認識」が低いように思えましたし、認識の低さも、社会全体からくるものと、学生の学ぶ姿勢からくるものがあるのではないかと思いました。

しかし、某大学の通訳の授業は毎回定員ぴったりになるほどの人気ぶりだそうですが・・・
それなのに廃止をしてしまうのはなぜなのかなと思いました。

世の中も変わっていっていますが、通訳に対する世の中の考えも変わっているのでしょうか?

これから、このような流れが加速しないかどうか心配です。

小野尾

******

小野尾君

その後、お加減はいかがですか?元気になりさえ
すれば、またバリバリ勉強できるんだから、無理が
効かない間はゆったり過ごすのが良いと思いますよ。

私も昨日はちょっとだけ忘年会に顔を出そうと
思っていたのですが、NHKでのラジオ番組収録の
あと、どうも体調が思わしくなく断念しました。
師弟そろってダウンですねえ。

某大学の方、来てくれたら嬉しいですね。それにしても、
満席になるほどのクラスをやめてしまうというのも、不可解な
話です。

でも、だんだん世の中で通訳っていうもののステータスが
下がって来ています。これも世の中の大きな流れなの
でしょうね。

妻が話してくれましたがCNNの通訳も、状況が一気に厳しく
なったようです。あまり重要視されていないのかな、という
印象です。

そう言う意味では、通翻が取り潰された(実質そうですよね)
のも、まあ「時流に乗った」動きではあるんだろうと
思うんですよ。

(柴原注:また、私の知らない間に通翻生対象の説明会が開かれたりするといけないので補足しておきますが、

「通訳・翻訳課程は来年度以降も存続します」

ただ、もう選抜試験は行わず、授業時間外は極力拘束しないという方針だそうなので、公式に合宿や勉強会をあまりプッシュすることが出来なくなるだけです。

ああ、それから、土曜日にアルバイトをしなくてはいけない学生にも配慮するということで、来年度からゼミは平日に行なわれます。今までは、1限にゼミを行なって、その後に引き続き、有志で勉強会を行なっていたんですけれどね。

希望する学生は誰でも履修できるようにすることで、優秀な人材が集まるという考えだそうです。以上、補足でした)

だからこそ、通翻のモットーである「すべてを学びに」が
生きてくると思うんです。

というのも、ウチの大学にしろ某大学にしろ、通訳教育を
英語教育の一環と捉えていると思うんですね。日本における
英語教育は、外国語教育(つまり、英語を習っても日常生活で
使うあてがあるわけではない)ですから、そこには無理やり
「ニーズ」を作り出す必要があります。

「入試」やら「ネイティブ教員」やらも、英語を習って
使うという「ニーズ」を作り出す、大きな仕掛け装置の
一部というわけなんです。最近ではTOEICなどもそう。

そして、大体20年ぐらい前から、新たな仕掛け装置と
して、「通訳」というものが出てきました。

これは目新しかったので、みんなが飛びついたわけですが、
ニワトリが先か卵が先かという話になりますけれども、
そもそも英語力などが高くないと通訳は出来ないわけで、
英語教育のニーズとして通訳を導入するのは、ある意味では
お門違いだったわけです。

そのことに世の中が気づき始めたということでしょう。

でも、通翻課程の総合的な学び、教養教育・全人教育的な
学びは、いわば学びの原点ですから、なくなりようがありません。

個人的には、むしろこれから脚光を浴びる分野なのではと
思います。

どの分野でも、パイオニアは冷や飯を食わされるものです。
胸を張って先陣を切って行こうと思っています。

小野尾君、まあいろいろあるけれども、状況に対して
見返してやろうと思ったら、一番の方法は我々が
「ハッピーに」(ここ重要です)学び続ける姿を
見せつけてやることでしょう。

僕も来年はそうして行こうと思います。小野尾君も、
悲壮感ではなく、楽しさを漂わせつつ学んで行けたら
いろいろとプラスになるのではないでしょうか。

年末年始は、少しは静かに過ごせそうかな?どうぞ
良いお年を!

柴原 智幸

*****

先生

昨日は熱が38.5度ありましたが、今朝測ったら35.8度でした。
今は薬を飲んで、下がっていますが、気を抜かずに、しっかり休んで、早く治したいと思います。


先生も体調に気を付けてくださいね。


なるほど。通訳という高度でかなりの努力が必要なものを、「英語教育の一環」としてだけとらえてしまう学校側と教える側の通訳者との間には差がうまれてしまい、どれだけ教員サイドが頑張っても、それが認められないのですね。

逆にたいした内容も中身もない「ネイティブ教員による英会話疑似体験」的なものが流行ってしまい、「英語話者」は過去と比べて増えていたとしても、「高度な英語話者」は減ってしまっているのかもしれませんね。もしくはそれが育たないという状況なのかも。

僕も、今の時代だからこそ、通翻課程的な学びが重要なのではないかなと実感をしていますが、どうも社会と私たちとの間に乖離が生まれてしまっているのかもしれません。

このようなことも考えて、大学院で通訳に対して考えていきたいと思います。
そして、修士でも、少しでも何かを良い方向へ変えられるように頑張っていきたいと思います。


来年からは、某大学も出ないかもしれないですよね。
これからどうなっていくのだろうというのが正直な気持ちです。

せっかく自分を変えてくれた通訳なので、なんとかいい方向へいってもらいたいものです。


小野尾

アメリカ英語、イギリス英語 [コラム]

先日、「攻略!英語リスニング」の英文収録でのこと。

英文を作成して下さっているウッドワードさんは、イギリス英語もアメリカ英語もOKですが、どちらかと言えばグッとイギリス英語寄り。一方ナレーターのクリスさんはアメリカ人でキャロリンさんはカナダ人。

そんなわけで、たまーにクリスさんが「ああ、これはすごくイギリス英語的だねえ」ということがあって、しばらく英語談義になるんですけれど、そんなやり取りが先日もありました。

Come, I'll show you something. (おいで、良いものを見せてあげるよ)

という文なんですが、そのComeの部分が、えらくイギリス英語的なんだそうです。アメリカ英語的には、Come hereとなるというお話でした。

あとは、hard bits, soft bits(固い部分、柔らかい部分)という言葉が出てきましたが、このbitsがイギリス英語的だそうですね。アメリカ英語なら、hard pieces, soft piecesというのだそうです。

私自身は日本生まれの日本育ちで、20代後半にイギリスに留学するまでコテコテのアメリカ英語で通してましたから、いまだにイギリス英語はちょっと縁遠いような気がします。

ところが、周りの人は私の英語はイギリス的だと言うのですね。

イギリスに留学していた時は「アメリカ人か?」と言われ、留学も半年を過ぎた頃にニューヨークの叔父と叔母(今年、本帰国した2人です)を尋ねて行ったときは、バスディポのお兄さんに「ん~、香港出身?」と言われましたし(英語がちょっとイギリス化していた?)、妻のオックスフォード大学事務局の上司(イギリス人)には、「日本人訛りって感じじゃないねえ。ポーランド?」と言われました。

「もう好きにしてください」って感じではありますが、いろんな種類の英語には興味があって、「攻略!英語リスニング」チームの皆さんとスタジオでお茶を飲みながら「アメリカ英語、イギリス英語」談義をするのは、なかなか楽しいひと時です。

暴れん坊のサンタクロース [コラム]

……タイトルには深い意味はありません。某サイトで「あわてんぼうのサンタクロース」をずっと「暴れん坊のサンタクロース」だと勘違いしていた、という記述を読んでツボにはまったもので。

さて、自宅でのパーティーの翌日は、午前中にスポーツクラブで汗を流してから、午後から私の両親宅で伯母と従妹も招いてパーティーがありました。

親戚が集まって、ごちそうを食べて楽しく過ごす。昔は盆暮れ正月などにごく普通にあったイベントなのですが、少子化もあいまってなかなかレアなイベントになりつつあるのかもしれません。ウチの子どもたちも、「いとこ」は一人もいないですし、妻は一人っ子ですし。

今年は、前日からヨーグルトでつけ込んだというチキンと、ジャガイモのグラタンなどが絶品でした。
<私が食い散らかす前に写真を撮っておけば良かったのですが……>
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その後は、妻と娘がピアノを弾いて、みんなでクリスマスキャロル(やら、全然関係のない文部省唱歌やら)を歌いました。

<父と子供たちと妻>
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<母と伯母。そして、こっそりつまみ食いをしている娘!!>
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子どもたちは伯母からしっかりプレゼントをもらって(風船キット)、大喜びで遊んでいました。
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子どもたちが、昨日作ったケーキの残りを、みんなで食べました。ロールケーキを買ってきて、それに生クリームとチョコレートを混ぜたクリームを塗り、お菓子を張り付けて作った労作です。

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昨日、パーティーの時にお土産に頂いたクッキーもみんなで食べました。すごくおいしかったのですが、箱に印刷されていた、ゆるキャラの「ふっかちゃん」が……

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んん~、「深谷のねぎ」は確かに有名ですが。ですがしかし……もう少しひねりましょうよ、ネーミング。

http://www.fukkachan.com/

帰宅して、NORADのサイトで「おお!今はサイパンからグアムに向かってるぞ!」などとサンタ情報をチェックした後、子供たちは就寝。

http://www.noradsanta.org/en/track.html

我々はこっそり目覚ましをかけて、深夜の「オペレーションS」に備えるわけです。

全国の「サンタさん」の努力が、明日の朝の歓声で報われますように!

クリスマスパーティーを行ないました! [コラム]

12月23日

通翻課程の学生諸君と、妻が教えている通訳学校、アイ・エス・エス・インスティテュートの教え子さんに拙宅にお越しいただき、クリスマスパーティーを開きました。

学生の皆さんも、通訳の卵である方々からいろんな話が聞けて勉強になったようです。以下、パーティーの様子を写真でお伝えします。

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息子や娘ともたっぷり遊んでいただき、結局13時から22時ごろまでワイワイとやっていましたね。ピザやらお寿司屋ら、いただいたケーキやら、ついでに私の作ったアボカド・ディップやこんにゃくステーキまで、いろんなものがテーブルに並んでいました。私も久々に楽しく飲んで食べておしゃべりをしてました。

パーティーをお開きにしたあと、皆さんを駅まで歩いて送ったのですが、「ラーメンが食べたい!」と主張する、水挽君、大平さん、鈴木さん、石坂さんの勢いに負けて、駅前の「日高屋」に入りました。全員ぺろりと1杯平らげてました。若いってすごいなあ。

何にしても、遠いところを来ていただいてありがとうございました。機会があったら、またパーティーをやりましょう。

どうぞ良いお年を

柴原 智幸

****************

柴原先生
こんばんわ

野口です。
昨日はどうもありがとうございました。
とても楽しかったです!!
ご家族の皆さんにもお伝えください。

***

柴原先生

こんにちは。通翻の松崎です。
昨日はありがとうございました。
お料理もお酒も、とても美味しかったです。
また、ISSの方や先生の奥様の貴重なお話を聞くことができてとても充実していました。

のぶくん、かなちゃんともロボットのゲームで一緒に遊べてとても楽しかったです。

また機会がありましたら、ぜひお邪魔させてください。

奥様、のぶくん、かなちゃんにもよろしくお伝えください。

それでは、よいお年を。

松崎陽香

***

柴原先生へ

こんにちは。

昨日は、本当にありがとうございました。ラーメンまでごちそうになって・・・。帰り道は大変でしたが、無事帰ることができました。

あと、昨日の質問の「A.I.」という映画ですが、お正月休みで暇な時間があったら是非見てほしいです。内容の好き嫌いはあるかもしれませんが、いろいろと考えさせられます。題名からもわかるとおり、ロボットが題材なのですが、日本語表現法の授業でも同じような内容の文章を扱ったせいか、科学の急激な発展に恐怖を感じています。

そういう理由で、一年生にも地道にオススメをしています(笑)

それでは、来年またお会いしましょう。良いお年を。

石坂朋美

***

柴原先生

昨日はありがとうございました。最高に楽しかったです。

仕事をしながら通訳学校に通っている生徒さん方とお話をするのは初めてだったので、パーティーという形でこのような機会を作っていただいて本当にありがたく思います。普段通訳翻訳課程という小さい組織にいる私たちですが、こうやって同じように通訳を学んでいる人たちとお話しすることがとても大切だと思いました。

今回は、大人になって仕事をしながら通訳を勉強している方々とお会いして、改めて、英語を使う仕事をしようとしている人は多いと感じました。さらにはISSの学生さんとはいえ、実際に仕事などでの通訳経験のある方も多数いらっしゃったので、そのような人たちと同じ土俵に立つことを考えたら、大学生の自分は一層の努力が必要だと感じました。また、違う環境で学んでいる人たちは、重きを置いてる点なども自分たちとは違うこともあるので、そういう点でも、外の世界を見るということでこのような機会は必要だと思います。

話は変わりますが、水挽君は日高屋で大人しくなると思われましたが、先生とお別れしたあと余計うるさくなりました。女子に絡むは大声で話すは、もうめんどくさかったです(笑)挙句の果て、(柴原注:以下数行、水挽君の名誉のために割愛いたします。わははは!)

 先生もお疲れ様でした。メリークリスマス☆そして良いお年を♪

大平桃子

グリコ北本工場に見学に行ってきました [コラム]

12月16日、グリコの工場を見学してきました。

<宣伝カーなどもあって面白かったです>
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写真に関しては、非常に厳しくて、トイレのマークなども例の「グリコ」のマークで片足を上げていて面白かったのですが、勝手に撮ってはいけないとのことでした。これは工場のラインなども一緒です。企業秘密などがいろいろあるからでしょうね。

グリコーゲンが「グリコ」の語源とのこと。そもそもは創業者がカキを煮た煮汁に栄養が融け込んでいるのでは、と考えたことが始まりだそうです。

お菓子というよりは、健康食品という位置づけだったそうです。映写機がついた自動販売機などが興味深かった。

プリッツについている焼き目は、オーブンの網目。プリッツにチョコレートをコーティングしたものがポッキーなのだそうです。

グリコは小学校に上がる前によく買ってもらっていたのですが、展示してあるおまけには特に見覚えがなかったですね。

見学が終わった後、子供たちはジャイアント・ポッキーのデコレーションに挑戦していました。
<後で食べましたが、うーん、味は普通のポッキーでしたね>
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せっかくの機会だったのですが、疲労の極致でロクにメモも取れず。無念。

こども論語塾に行ってきました [コラム]

12月……何日でしたか忘れましたが、一家で安岡活学塾主催の「こども論語塾」に行ってまいりました。

http://www.ymkj.jp/

通翻課程でも、何度か漢文の読み下し文を暗唱してみたり(そういえば、ブリティッシュ・ヒルズでシェイクスピアの銅像を通翻のみんなで取り囲んで、「生きてはともに語るべきものなく、死しては青蠅をもって弔客と為さん……」とやったことがありましたが、あれは愉快でした。懐かしいですねえ)、授業中に中島敦の「山月記」を全文朗読したりしていますが、やはり含蓄のある内容の文を大きな声をだして読み上げて行くというのは、非常にcleansingですね。

個人的にも、ちょっと今はこういう活動がやりたいなあと思いまして、「勝手に素読活動」でも始めようかなあと思います。時間を決めて、論語の一節を素読。学生諸君の参加があればよし、なければ一人で黙々と。あ、いや、「黙々と」というのは言葉のあやで、もちろん声を出しますけれどね。

<上野駅のクリスマスツリーがきれいでした>
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数千年のtest of timeに打ち勝って、風化せずに残った言葉を、自分の声に載せてみるという経験は、思っていた以上にいろいろなものをもたらしてくれるな、という感じです。

柴原 智幸

命を懸けて安全を守る、ということ。そして、口先でいろいろ言うのは容易い、ということ。 [コラム]

NHKで、ABCナイトラインの通訳シフトを終えた所です。今日はコネチカット州の銃乱射事件の特集と言うことで、ずっとそれがらみの話でした。

直径数ミリの金属塊を、音速を超える速度で撃ち出す……というのが、銃です。それが人体に当たると、どうなるかは、想像するだに恐ろしいわけですが。

それに対してどう身を守るか、という話になるわけですけれども、今、アメリカでは教員が教室に銃を持ちこむことも含めて検討されているそうです。というか、既にそのような措置を導入している所もあるとか。銃を持った警察官が校内を巡回することも珍しくありません。

国連軍などの治安維持活動では、圧倒的な軍事力を見せつけることも抑止力として有効なのだと、どこかで聞いたことがあります。しかし、銃犯罪から身を守るために銃武装するというのは、ロジックとしてどうかな、と思います。

むしろ、簡単に銃を使えない、使う必要のない状況を作らなければ、問題の根本はなくなりませんよね。

そういう事を言うと、たぶんNRA(全米ライフル協会)あたりが「それならあなたは、銃を持った暴漢があなたの家族を傷つけようとしても、むざむざそれを許してしまうのか」と言いだすのではないかなあ、と思います。

NRAを支持する人たちは、Guns don't kill people. People kill people.(銃は人を殺さない。人が人を殺すのだ)などと言いますけれど、それは詭弁ですよね。

自分の身を自分で守らなければならなかったのは、司法が十分発達しておらず、自治体による治安維持も不十分だった時代のことだったはずです。ある程度そういったものが整ってきたら、警察なり軍なりに武力は委ねて、それをシビリアン・コントロールすることが、辿るべき道筋のように思うのです。

「銃を持った人に殺されそうになったら、警察を呼ぶ。間に合わなくて殺されるようなことになっても、仕方がない」そういう覚悟が必要なのかもしれません。

警察が間に合わなかった時のために、銃を持つ。

その考えを実現するためには銃が比較的簡単に手に入る必要があるのです。そして、アメリカには実際にそのような状況があります。今、一番多く銃を売り上げているのは、ウォルマートだそうですよ。

「お、今日は銃の安売りか。一丁買っとくか?」

なんてノリなのかは分かりませんが、スーパーで銃が売っていることに、アメリカ人が脅威を感じないということに脅威を感じます。

一般市民が銃を手に入れやすいということは、犯罪者予備軍も銃を手に入れやすいということです。どちらが有利か、ということですよ。逆を言えば、銃規制を厳重にして、打撃をより大きく受けるのはどちらか、ということです。

実際、銃の展示即売会などでは、拳銃が日本円で2~3万円、半自動小銃でも8万円もしないで手に入ります。しかも、今日のニュースでやっていましたが、身元証明などなしに(つまり、犯罪歴があっても簡単に)買えてしまうんです。

銃の展示即売会に関しては、検索してみたら以下のサイトがヒットしました。雰囲気がよくわかると思います。元オハイオ在住の方のサイトです。
http://ja2iin.web.fc2.com/nikki-v2391.htm

ニュースの中では、ヴァージニア工科大学の銃撃事件で九死に一生を得た青年が、銃がいかに簡単に買えるのかを展示即売会で隠し撮りして暴いていました。

銃武装推進派になってもおかしくないこの方が、そういう活動をしている事に、深い感銘を受けます。やはり、暴力の応酬は何も生まないと思うのです。BBC時代にさんざんイスラエルとパレスチナの、血で血を洗うような衝突を通訳してきました。第3者からみると本当に不毛なのですが、それぞれ後に引けない事情があるんですね。

今朝、朝食を準備しながらラジオニュースを聞いていたのですが、イスラエルに攻撃されて家族を亡くしたパレスチナの子供は、昔は「先生になりたい」と言っていたのに、今では「ハマスに入って、イスラエルと闘いたい」と言いだしているんだそうです。

もちろんハマス側のプロパガンダもあるでしょう。でも、一片の事実も含んでいると思うのです。結局、暴力は暴力を、憎しみは憎しみを生む、ということです。

だから、「たとえ自分が殺されても相手を殺さない。命をかけて暴力の連鎖を食い止める」という覚悟が必要なのだろうなあ、と思います。

なんだか言いたい事が段々拡散してしまっていて申し訳ないですが、今日のニュースで、オバマ大統領と記者団との記者会見で、ABCの記者が「銃規制の必要性も、今回のような悲劇も、今に始まった事じゃないでしょう。この4年間、Where have you been?(何をやってたんですか?)」と言っていました。

それに対してオバマ大統領は、「就任以来、大恐慌以来の経済危機と倒産寸前の自動車業界、2つの戦争に対処してきました。I don't think I've been on vacation. I think all of us have to do some reflection.(休暇を取っていたわけじゃないんです。私たち全員が、じっくり考えないといけないことだと思います)」と答えていました。

このようなやり取りが出来るということは、非常に良いと思います。選挙の候補者に少し突っ込んだ質問をしただけで、質問したジャーナリストが「候補者に噛みついた」と言われたり、それに対して選挙の候補者がすぐに怒り出したり、というのは不毛ですよね。どこの国の事とは言いませんが……。

オバマ大統領は、
"If we are not getting right keeping our children safe, then nothing else matters."
「子供の安全を守れないのならば、他の事はどうでも良くなる」
とまで言い切っています。

この言葉を具体的な動きに、どこまで結びつけられるでしょうか。

Having said that(とは言うものの)、自分自身の問題として考えてみると、暴力の応酬を自分でストップさせる、憎しみの連鎖を自分で断ち切る、ということは本当に難しいと思います。

職場で自分の思い通りにならない展開があって、特定の個人に対して反感を持ったとしても、その個人に対する憎しみを抑え込めるかどうか。

家族が暴漢に殴られたとして、殴り返さずにいられるかどうか。

大事な人が銃で撃たれたとして、自分の手の中に銃があったら、犯人に向けて引き金を引かずにいられるかどうか。

こう考えてみると、口先でいろいろ言うのは実に容易いな、と思います。でも、「武士はくわねど高楊枝」ではないですが、「耐えがたきを耐え」ないと、次の展開はないのでしょうね。そこまで腹をくくっていく必要があるのだな、と思います。

本番直前に、PBSニュースアワーが流れていたのですが、シリアの子供たちに「何かお絵かきしてごらん」というと、描いてくれたのは政府軍の戦車とヘリコプターだったそうですよ。保育園時代に自分の子供たちが描いていた絵を思い浮かべて、その落差に暗澹たる気持ちになります。

すでにこのブログで何度か申し上げた通り、いろいろ大変なことはあるにしても、私たちは世界的にみれば「恵まれた」国にいるのだと思います。だからこそ、世界の動きを知って、考えていく義務があるのではないかと思うのです。

そのために、英語という語学を生かしていきたいし、通翻課程のみんなにも、それぞれの立ち位置で英語を使って情報を受け止め、考え、発信し、様々な人と意見を交換して欲しいと思います。

生きていくことは、きれいごとではありません。清濁併せのむことを求められる局面もあります。私もわが身を振り返って「なんだかずいぶん穢れてしまった気がするなあ」と思う時もあるのです。でも、だからこそ、「きれいごと」、つまり理想とか理念とか、そんなものを常に持ち続けていたいですよね。

さて、そろそろ帰って、「攻略!英語リスニング」の原稿書きの続きを頑張らねば!

指令:サンタを追跡せよ [コラム]

いやあ、もうね、書けないわけですよ、ラジオ番組のテキスト原稿が。逃避しとるわけですよ。とほほ。

何はともあれ(何がだ)、こういう遊び心は好きだなあ。北米航空宇宙防空司令部(通称NORAD)が、毎年総力を挙げてサンタを追跡しているのです。今年もまた追跡の時期がやって来て、サイトでは追跡カウントダウンが行われています。

24日から追跡開始みたいですね。
http://www.noradsanta.org/en/

プロモーションビデオもありましてね、これが。
http://www.youtube.com/watch?v=jb0gj_sIBdg

About Santaのウェブページの説明が面白いです。

<引用ここから>
If one were to assume he works in the realm of standard time, he would need to limit his stay to about three ten-thousandths of a second per home!

Santa Claus is more than 16 centuries old, yet he does not appear to age at all. This is our biggest clue that he does not work within time as we know it.
<引用ここまで>

NORADに関しては、こちらをご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E8%88%AA%E7%A9%BA%E5%AE%87%E5%AE%99%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E9%83%A8

ああ、ちなみに柴原家では「サンタは実在する」というのが定説になってますので、日曜日のパーティーに遊びに来る通翻課程の学生諸君は、全力でその説を擁護するように。わははは。

……さて、仕事に戻ります。いや、楽しい仕事ではあるのですが、いい加減なことを書けないと思うと、プレッシャーがハンパないんですわ、これが。

皆さんも、年末を迎えてお忙しいとは思いますが、あと一息、お互いに健康に気を付けつつ頑張りましょう!

小野尾君からの手紙 [コラム]

家に帰ると、小野尾君から手紙が来ていました。宛名は私。「何だろう?何かあるなら、直接言っていいのに」と思って開封してみたところ、息子と娘への手紙でした。

良い手紙だったので、転載します。

<以下、引用>

のぶくん、かなちゃんへ

お元気ですか、光平です。

お手紙のお返事、遅くなってごめんね。僕の最近の報告をしたいと思います。

今僕は大学の4年生で、もうすぐ卒業です。普通は、大学を卒業したらお仕事をするようになるんだけど、僕はもっとお勉強がしたいから、大学院というところに行きます。大学院で2年間お勉強をした後に、お仕事をするつもりです。

また、この間、大学の代表として通訳コンテストというものに出ました。そして3位になりました。各大学の代表が出ていたので、みんなの通訳もすごかったけど、その中で3位になることができてうれしいです。

大学院に合格したこと、そしてコンテストで3位に入ることができたことを通して、感じたことがあります。それは、「たとえ、すぐに良い結果が出なくても、いっしょうけんめいになって努力をして、さらにその努力を楽しんでいればいずれ良い結果が出る」ということです。

「大変そうだな」と思ったことでもとりあえずいっしょうけんめいやってみてください。いっしょうけんめいがんばったことは、自分を成長させてくれます。

何か自分でがんばったことは、絶対に後で自分に良い影響を与えてくれます。

それがすごいおもしろいことなんです。だから努力も楽しむことができるんです。

そういうことを少しずつやっていけば将来立派な人間に、のぶくんとかなちゃんはなれると信じています。

お互いにがんばっていきましょう。

今度また遊びに行きます。

2012年12月11日

小野尾光平

four-legged friends [コラム]

アメリカのSandy Hookで起きた銃乱射事件のケアをするために、confort dog達が現地に到着したそうです。

http://www.dogheirs.com/tamara/posts/2474-comfort-dogs-travel-800-miles-to-give-support-and-love-to-newtown-residents-after-school-tragedy

少しでも、心の傷が癒されると良いのですが。

しかし、ゴールデン・レトリーバーの気性を、私も少しは見習わないといけないかもしれませんね。

「犯人」は大使館員ではなく、外務省? [コラム]

「真珠湾攻撃の直前にアメリカに宣戦布告文書を手渡す予定が、アメリカの日本大使館員の怠慢が原因で、手渡したのは真珠湾攻撃後になった。そのために真珠湾攻撃は『だまし討ち』の汚名を着ることになった」

そんな風な認識だったのだが、12月8日の日経新聞「文化」欄によると、これは違うらしい。「事実を歪曲した会戦物語が独り歩きして国民に誤った印象を与えている」とのことだった。

アメリカ国立公文書記録管理局に、日本の外務省から大使館向けの電報を、アメリカ海軍が傍受した記録が残っている。それによると、重要な電報の発信が、14時間も遅延していたという。その他にも、「至急」の指定が取り消されたり、「大至急」を「至急」に引き下げたものもあったらしい。

敵をだますにはまず味方から、というか何というか。要は、外務省も関与して、真珠湾攻撃の情報が漏れないようにギリギリまで情報を明かさないようにしていたということらしい。

真珠湾攻撃から50年後の1991年、当時大学生だった僕が手にしたTIMEの真珠湾攻撃特集号の表紙には、Sneak Attack(卑劣な攻撃)という文字が踊っていた。sneakという言葉の意味を初めて知ったのが、あの時だった。

ウォード号事件などを見る限り、アメリカ側も相当日本に対する油断があったのは確かだろうが、それで宣戦布告前の攻撃を正当化することはできないだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

ウォード号が特殊潜航艇を撃沈した際の戦闘報告もある。司令塔と艦体の継ぎ目付近に、ウォード号の3番砲塔からの砲弾が直撃して撃沈されたらしい。2人の乗組員は、その際に戦死されたのではないだろうか。
http://www.history.navy.mil/docs/wwii/pearl/ph97.htm

いずれにせよ、文字通り命を懸けた攻撃が、後に「だまし討ち」扱いされることを知ったら、しかも外務省を含む国家ぐるみで、だまし討ちの汚名を浴びることを計算ずくで情報操作をしていたと知ったら、さぞかし無念だったろうと思う。

そして、そのような情報操作をしてでも真珠湾攻撃を成功させねばならなかった、当時の日本の状況を思うと、腕組みをしてため息をついてしまうのだ。

アメリカの国力には、どうあがいても勝てない。ならば太平洋艦隊に大打撃を与えてアメリカに厭戦気分を起こさせ、停戦交渉に持ち込もう。そんな考えだったと聞いている。

作戦は戦術的には大成功をおさめ、アメリカの戦艦群は壊滅した。しかし戦略的には、アメリカ人を「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」のスローガンのもとに、結束させてしまったのだ。

それから4年間の悲しい戦いを思うと、他に選択肢はなかったのだろうかと思いもするし、同じような状況に陥らないためにはどうしたら良いのかと考えてしまう。

時代の残滓 [コラム]

皆さんは、「兵隊シナ語」という言葉をご存じだろうか。私も今日まで知らずに過ごしてきた。仕事関係であれこれ検索しているうちに、ウィキペディアで見かけたのだが、中国に出征した日本軍の兵士が使っていた、間に合わせの中国語らしい。これが俗語として日本語に残っているのだそうだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E9%9A%8A%E3%82%B7%E3%83%8A%E8%AA%9E

へえ、と思いつつ記述を読み進んで行くと、ある言葉に目が釘付けになった。

子どもの頃、父親が「ノーテンホワイラーになっちゃう」と言っていたのを覚えていたのだ。「脳天がWhy?になってしまった人、馬鹿になってしまった人」のような意味に勝手にとっていたのだが、これが兵隊シナ語だった。

正確には、「壊了」(ふぁいら)が「壊れている」という意味で、「ノーテンファイラー(脳天壊了)=脳が壊れている=馬鹿者」という意味になるらしい。

父は終戦の時に6歳で、福島の三春に疎開していたから、もちろん「兵隊シナ語」の一次使用者ではない。親の世代が使っているのを聞き覚えて使っていたのだろう。

現在40代前半の私でも、子供時代にはこういう「時代の残滓」に囲まれながら育ったのだなあ、と思う。考えてみたら、私が生まれたのは戦争が終わってから24年後だ。大学生ぐらいの時は「24年もたってから生まれた」と考えていたが、この年齢になると「たった24年後に生まれたのか」とも思う。

第2次世界大戦に関する歴史は、教科書にのっている白黒写真ではなく、自分の人生と地続きなのだ。考えてみれば、今だって古めの銭湯に行けば、効能書きのところに「戦傷」なんて言葉が書いてあるはずだと思う。

「二つの祖国で」を見たからだろうか、まだ生き残っている当時を知る人から、自分の次の世代へと、「記憶のバトン」を渡さねば、という思いがずっと頭の中を回っている。

私事ですが…… [コラム]

朝、娘から妻と私にカードが。嬉しいもんですね。

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今日は、そんな日です。

柴原

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