「近江アカデミー」のレッスンに参加してきました! [コラム]

南山短期大学名誉教授の近江誠先生が主宰していらっしゃる、「近江アカデミー」のレッスンに参加してきました。

「近江アカデミー」ウェブページはこちら
http://omi-academy.com/index.shtml

神田外語学院で教えていた当時、近江先生の「感動する英語」をテキストに使ったことがあり、英文を徹底的に理解・吸収した後に「モード転換」をして、新たな文脈で自分の話したい内容を語って行くという方法論に、深い感銘を受けました。

「感動する英語」
http://omi-academy.com/about/syuyou_04.html

その頃から「いつかお会いしていろいろお話を伺ってみたい」と思っていたのですが、数年越しの夢がかないまして、実際のレッスンに参加した次第です。

参加してみて思ったのは、私の「近江メソッド」の認識が、まだまだ表面的なものにとどまっていたということです。

レッスンが始まってすぐにモード転換の前段階の音読(という用語を使っていいのかどうか分かりませんが)練習が始まりました。生徒の皆さんが、一人一人英文を音読して行きます。

英文の内容理解については前回のレッスンで扱っており、すでに一部暗唱されている方もいらっしゃいましたが、近江先生から次々とチェックが入ります。

「内容をうんぬんする前に、『誰が』話しているか、です」

と先生がおっしゃいます。通訳や翻訳をしていて、「この人が日本語で話したら、きっとこんな語り口になるだろうな」と考えて、訳出をしていくことがよくありますが、それと重なる部分がありますね。

近江先生は、「語り手に成り代わって声を出す」「活字として表れているテキストだけではなく、subtext(笑わせてやろう、何かの弁明を行なおう、など)が何かを考える」というアドバイスもなさっていました。私は通訳学校で「表面的な言葉だけではなく、『何のために行なう通訳なのか』を考えましょう。あくまで取引関係を維持しつつ問題点を是正したいのか、関係の破棄も辞さずに問題点解決を迫るのか、といったことです」と言ったことがありますが、それとも重なる部分があります。

「What are you trying to accomplish by saying what you're saying?ですよ。この点をきちんと意識してから暗記しないと、語り手にのり移れません」

という近江先生の言葉に、おっしゃる通りだなあと膝を打ちながら耳を傾けます。

……が、傍観者でいられたのはここまで。何と近江先生が私のラジオ講座のテキストを使って、その先のレッスンを進めて下さいました。光栄ではありますが、ええカッコしいの私としては、「ボロを出さないようにしなければ!」と一気に緊張してしまいます。

テキストの英文は何度も目にしてはいますが、番組内の英文の朗読はネイティブのナレーター(クリスさんとキャロリンさん)にお願いしており、私が英文を音読した回数は、それほど多くありません。

「では、最初から読んでください」

という近江先生の指示を受け、1段落ほど読み終わりました。読み間違わないように、発音を正確に、などと緊張しながら読み終わったところ、先生がおっしゃいます。

「今の音読ですが、聞き手は誰ですか?」

しまった!

普段あれだけ学生たちに「通訳はキャッチボール。ボールの受け手を意識しないキャッチボールはないでしょう。常に自分の言葉を誰に向けて放っているのか、ちゃんと受け取ってもらえているのか、注意を払いなさい」などと偉そうに言っていたくせに、完全に聞き手への意識が飛んでいました。修行が足りませんねえ。

さらに、「地球の人口ってどのぐらいだと思う?○○億?○○億?実は○○億人なんだよ!」と話す部分があるのですが、私がbillionを強調して読んでいたところ、

「billionは既出情報ですから、強調するべきはその前の数字ですね」

とご指摘いただき、これも考えてみればその通りなのですが、まだまだ意識しないと出来ていません。そして、「地球はこれ以上の人口は支えきれない」という部分で、more peopleという部分があったのですが、ここもpeopleを強調して読んでいたところ、

「『今、話しているのは、犬猫のことじゃないよ、人間!人間について話しているんだからね!』というならば、そういう読み方になりますが、この場合は『これ以上は』という部分が伝えたいわけですからmoreを強く読みます」

とアドバイスをいただきました。

上手く説明できない感覚なのですが、自分の問題点を指摘されるのが、何だかワクワクする気分でしたね。「おお、なるほど!自分では気づけなかったけれど、そこに気を付ければさらに前進できるぞ!」という感じ、といったら良いでしょうか。

その後に全員の前に出て、「難聴の方々と、英語が苦手でmillionとbillionが怪しい方々が聴衆にいる、という設定で読んでみてください」という課題をいただきました。これも難しかったですが、あれこれ考えながら読むのは、本当に楽しかったですねえ。

それは裏返して考えれば、「普段自分がやっていた音読が、いかに何も考えていない、無味乾燥なものだったのか」、ということでもあります。

また、「なぜそこを強めて読むのか」というのは、裏返せばそれ以外の部分をいかにサラリと読んで行くのかということにもなるわけですが、近江先生によれば、演劇ではそのように決めゼリフ以外の部分で意図的に「力を抜いてセリフを語る」事をthrow away(「言い捨てる」という感じでしょうか)と言うのだそうです。

確かに、すべての言葉を強調してしまったら、教科書のすべての行にアンダーラインを引くようなもので、かえって内容が取りにくくなります。

その後に先生の「感動する英語」のお話から、モード転換の話題になったのですが、私が考えていたものより、はるかに深いコンセプトでした。

私は単に、「元の英文の骨格を利用しつつ、表現を一部差し替えて表現のバリエーションを広げる」ぐらいにとらえていたのですが、近江先生が考えていらっしゃるのは、以下のようなことです。

<引用ここから>
 素材に内在する「語り手」「聞き手」「時」「場所」「目的」「内容」「様式(展開や身体性)」を理解したように音読することで、ますます理解を深め、その理解の上にたってさらに音読、朗読表現をしていくことで、様々な表現や、雄弁のからくりが線として身体に刷り込まれている所を狙っています。
 そしてさらにモード転換訓練という上の七つのポイントを動かしてみることによって、入力をさらに確かなものにすることができます。
<引用ここまで>
(近江アカデミーの「オーラルインタープリテーション」の説明ページより)
http://omi-academy.com/about/oral.html

 つまり、一つの英文を深く理解し、自分の中に取りこんだあとで、

1 話し手を変えてみる
2 聞き手を変えてみる
3 時代を変えてみる
4 場所を変えてみる
5 目的を変えてみる
6 内容を変えてみる(料理番組の語りの枠組みを使って、英語教育を語る、など)
7 様式を変えてみる

ということを行なっていくという、非常に壮大な広がりを持ったものだったのです。骨太の、日本人が本来行なうべき学習だと思います。こういう勉強をしていたら、TOEICなど資格試験の点数も、「ついでに」上がることは間違いありません。

「表面だけのまねではありません。比喩を使ってどうするかです。関係なさそうなものの共通性を見出すんです」

と先生がおっしゃいます。これはもう、英語教育の枠を超えて、私が一番やりたいと思っている教養教育に大きく絡んできます。実に興味深いです。

私は専門学校で教えていた時に、チャップリンの「独裁者」の演説を、生徒たちに暗唱させたのですが、それに関しても、

「あれも『モード転換』ですよ。何が元になったのか。それは、独裁者ヒトラーの演説です」

とおっしゃいました。これも考えてみれば、おっしゃる通りです。なるほど、パロディーは確かに「モード転換」ですね。

この後実際に、課題文(私のテキストではない方)を「モード変換」した英文を生徒さんの1人が披露してくださいましたが、料理番組のパロディーで「亭主操縦法」を説く英文だったものが、「なぜ近江アカデミーで英語を学ぶのが良いか」という内容の文に見事に「モード転換」されていました。完全に英文の内容を咀嚼、吸収したうえで、それを自分の主張のひな形として活用していらっしゃいます。素晴らしいです。ああ、こういうことが自分の教室でも行ないたい、と思いました。

それに続いて、「英語ではなく数字に感情を込めてしゃべる」という、実に興味深い訓練も行ないました。

例えば、「生徒指導」というシチュエーションで、数字とそれに込めた感情だけで

「なんだ、最近成績下がってるじゃないか」

「はあ……」

「ほら、ここんとこな。もう少し頑張れよ。ん?いいか?」

「分かりました」

みたいなやり取りをするのです(会話は柴原の推測です。実際には、one, two, three...などと英語で数字をカウントしています。それに感情を載せると、不思議なことに結構コミュニケーションが成立します)。

近江先生が、「酔って帰ってきて奥さんに叱られ、言い訳をする旦那さん」を数字の発音だけで表現されましたが、抱腹絶倒のパフォーマンスでした。

これは教室で使えますねえ。英語だから自信がなく、声も小さくなりがちなわけですが、そのリミッターを外して「コミュニケーション」に目を向けさせるのに、実に効果的な方法だと思います。

先生は、

「言語に意味を与えるのは、語り手です。これを『言語パロール観」と言います。その反対が『言語ラング観』。ラングというのは、この場合『制度』のことです」

とおっしゃっていました。確かソシュールあたりだったでしょうか?今度じっくり調べてみようと思います。

また、中学校の教科書の文章を使ったトレーニングも鮮烈な印象を受けました。

I get up at six every morning.
I eat breakfast at seven twenty.

などと言う、「一日の行動」を描写した短文が6つぐらいあったのですが、先生からご指名を受け、まず私が朗読しました。「これはどういう文脈なんだろうなあ?こんな感じで良いのかなあ?」などと思っていたので、

I get up at six every morning?
I eat breakfast at seven twenty?

という感じの、いわゆる「半疑問形」のような読みになります。それを受けて近江先生が、

「これは、誰に対して行っているんですか?」

とお尋ねになりましたが、全く考えておらず、絶句してしまいました。

「文脈が見えてこなければ、補ってでも(生徒に)食べさせるのです」

と先生がおっしゃいます。なるほど!元々文脈がないのであれば、状況設定などを自分で作りだし、それを元に教え子に英語を口に出させるわけですね。

先生が例として出したのが、「一人暮らしをしている子どもに親が電話をかけてきた」という設定です。「おまえ、ちゃんとやってんのか?全然連絡つかないじゃないか。毎日どうしてるんだ?」と問い詰められた子供が、「はいはい。6時に起きて7時20分に飯食って……」などと面倒くさそうに、自分を大きく見せることを考えつつ答える。これであれば、口調から何から、明確にイメージがわきそうです。実際に先生が話してくださいましたが、リアリティーあふれる語り口でした。

「文脈が見えてこなければ、補ってでも食べさせる」という言葉は、肝に銘じておきたいと思います。

最後に、Reader's Theaterというものを見せていただきました。教室の前に出演者2人とナレーター1人が出て、聴衆に向かって語り掛けます。以前、大学で「朗読」と「群読」のセミナーを受けたことがあるのですが、その「群読」に似ています。

素材は名スピーチなどの一部をモード転換して近江先生が作ったものだそうで、私が聞いたのはチャップリンの「ライムライト」とデール・カーネギーの言葉をベースにしたものでした。

これがすごかったです。オペラのドレスリハーサルを見ているような感じでした。

「役にすごく入り込んでいますね」と近江先生にお話したところ、それとも少々違い、劇作家のような目線で、自分の出番だけでなく、相手の出番も含めた全体を1本のスピーチとして捉え、冷静な部分を残して語るのだそうです。ですから、2人の役を1人で行なうこともあるとのこと。落語の「上下を切る」みたいな感じでしょうか。

さて、パフォーマンスが終わり拍手が起きたのですが、驚いたのはここで終わらないこと。

大まかに言うと、「けがをしたバレリーナを売れない芸人が励まし、その後売れない芸人をバレリーナが励まし」という内容だったのですが、近江先生が私のラジオ講座の内容を受け、

「人口は増えるばかり。どうせもう地球は、人口を支えきれっこないんだ。もうおしまいだ!」

と落ち込んで見せ、お2人が何とかそれを励ますわけです。こういう形で発展させるのですね。私が言うのもおこがましいですが、本当にお見事というか、なるほど!というか、実によく練り上げられたメソッドです。

「Reader's Theaterであつかったロジックや表現を使って、豊かな虚構の世界で遊ばせるんです」

という言い方を、近江先生はしていらっしゃいました。

休み時間も先生を一人占めにして(生徒の皆さん、申し訳ございません)質問をしたり考えを聞いていただいたりしていたのですが、以下、先生がおっしゃっていたこと、私が学んだことなどを列記します。

今までの記述にも言えることですが、私の記憶違いや勉強不足による勘違いを含む可能性があることを、あらかじめお断りしておきます。

・暗唱をやらせていて、生徒がつっかえた時に、先生が続きの言葉を教えてしまうのは良くない。なぜつっかえたのか、それが分からないままにしてしまうと、何も考えずに英文を口にするようになる。

・ディベートのスクリプトも、オーラルインタープリテーションの教材になる。

・理解していないことは、頭に入りにくい。役者がセリフを覚えるときも、記憶力だけで頭に入れているのではない。話の流れが大事。
 本物の役者ならば、芝居全体が、一本の線として頭に入っている。自分のセリフしか入っていないのはニセモノ。

・英語の教材には、長さがある程度必要。ある程度の長さがある文からは、文脈が生まれるから。
→そう考えると、数行のダイアログ、というような内容はあまりよくない。練習する際も、自分の担当する側ではなく、全体を通して練習するべき。

・歌を歌わせるには、まず歌詞の朗読から。意味を考えて読み上げて行けば、そこにメロディーが乗ってくる

***

レッスン終了後も、近江先生と生徒の皆さんと一緒にコーヒーをごちそうになり、そのあと厚かましくも夕食までごちそうになってしまいました。

近江先生、近江アカデミーの皆様、大変勉強になり、また教師としての熱意に再点火していただいた1日でした。本当にありがとうございます。

習ったことを実地に生かし、教師としてさらに前進して行きたいと思います。可能な限り、またレッスンにお邪魔出来ればと思っておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

<近江先生と記念に1枚。ありがとうございました!>
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柴原 智幸

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