デス・エデュケーション [コラム]

息子と娘が通っていた幼稚園で、体操教室が開催されていた。

そこで指導をしてくださっていたN先生が、心臓発作で急逝された、という連絡が入ってきた。

先週の木曜日には、保護者参観で園児たちとドッジボールをしていたのに、土曜日に倒れられたとのことだ。

ベテランの先生だったが、今風の言い方をすれば「細マッチョ」と言うのだろうか、運動選手らしい引き締まった健康そうな体をしてらっしゃった。運動会でグラウンドを所狭しと駆け回っていた姿を鮮明に思い出す。

息子も娘も大変かわいがってもらって、他の子どもたちからも大人気の先生だった。そんな先生が、どうして亡くならなければならなかったのだろう。

もちろん、その問いへの答えはないのは、最初から分かっている。でも、問わずにはいられないのだ。「なぜ?なぜ?」と。

私と何歳も違わないのではないか。まだまだ数十年はたっぷり生きて、たくさんの子供たちに体操を教えて下さるはずだったのに。なぜ必要とされている人から亡くならなくてはいけないのだろう。

もう時間は巻き戻せないし、詮無い事とは分かっていても、ついつい思ってしまう。「人の生き死にって、理不尽だなあ」と。

息子は、訃報を聞いてすぐに「お葬式に行きたい」と行ったそうだ。今度の土曜日に、妻と娘の3人で、お線香をあげてくるとのこと。N先生が、生涯最後に子供たちに「デス・エデュケーション」を行なってくれるということか。

考えてみれば、私自身もN先生のように「万が一」のことがあっても不思議ではない年齢になったということで、「明日死ぬとしたら、悔いはないか?」という厳しさを持って日々を送らねばと思う。葬儀当日は、近江誠先生の「近江メソッド」の体験授業で名古屋に出張しているので、同行できないが、彼の地で静かに黙とうしよう。

N先生、心からご冥福をお祈りします。

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