松崎さんより 点字ブロックについて [留学]

またまた松崎です!

もう1点気づいたことをシェアしようと思っていたことを書き忘れてました。

それは、よくみんな言うことですが、「海外で生活して日本の良さ、すごさ、逆に悪い点に色々と気づく」ということです。

例を挙げるときりがないのですが。1つ最近気づいたことは、点字ブロックについてです。
先日、街の大通りを夜、歩いていたら、目の不自由な方が杖を使いながら歩いていました。交差点の近くで危ないな、大丈夫かなと思っていたら、どうやらどちらが進む方向か分からなくなってしまったようだったので、声をかけました。すると、〜に行きたいとおっしゃっていて、偶然近くに通りかかった人達が同じところに行くらしく、一緒に行ってもらえました。

その時にふと気づいたのですが、道に全然点字ブロックがないのです!
ニュージーランドで一番の大通りであるQueen Streetなのに、点字ブロックがあるのは交差点の前のみです。(点々の、止まれ、を意味する点字ブロックのみです)
そう言えば、点字ブロックって英語で何て言うのかなって思って友人に聞いたりネットで調べたところ、Tactile Pavingらしいです。そして、さらに調べて驚いたことは、なんとこの点字ブロック、日本で発明されたものなのです。(もしみなさんが知っていたらすみません、単にわたしの知識不足です…)

色々調べていたら、分かりやすい説明があったので引用します。(http://ubqbrl.at.webry.info/201010/article_1.html )

『 点字ブロック完成の歴史 - 誕生から完成まで34年 -
   
1961(昭和36)年頃、岡山市で自営業を営む三宅精一は、ある日「交差点で白い杖を持った目の不自由な人が車道を横断する姿に目を留めた時、横を車が勢いよく走り去った」という危険な場面に遭遇した。
以後、「視覚障害者の安全歩行」の課題が頭の中を占めるようになる。
当時の社会福祉法人日本ライトハウス(視覚障害者の自立を支援する全国組織)岩橋英行理事長との出会いを契機として、「人間としての自立」、そのための「単独安全歩行を可能にするシステム」を日本全国へ展開する意思を固めた。

名称を「点字ブロック」と名付け、地元ユーザーの意見を聴きながらコンクリートブロックの表面に突起物を配列させ、その形状・配列・数・寸法など多種多様の試作を繰り返した。
 1967(昭和42)年3月18日、当時、岡山県立岡山盲学校の生徒が登・下校の際利用していたここ旧国道2号線(現在地)の横断歩道に230枚の点字ブロックが敷設され、完工渡り初め式が行われた。
それは日本初、また世界初の記念すべきことであった。
 同年、誕生間もない点字ブロックは、世界盲人福祉協議会実行委員会に出席した岩橋氏により世界各国の専門家に紹介され多くの賞賛の言葉をもらう。
 しかし当時、高度成長の真っ直中にあり障害者を社会的に援助する土壌が未成熟だった日本では、その普及活動は困難を極めた。 
 1970(昭和45)年、旧国鉄が、大阪府我孫子町駅にプラットホーム第1号の点字ブロックを敷設して希望の灯が見え始めた。
同年、東京都が高田馬場周辺に点字ブロック敷設を中心とした整備を行うことを決定して地方都市へ連鎖的に広がっていくこととなる。
1973(昭和48)年の石油ショックで高度経済成長に一気にブレーキがかかり、福祉型の低経済成長へという価値観の転換がさらに救いの神となる。
 2001(平成13)年、点字ブロックのJIS化が実現する。誕生から完成に至る歴史は、日本の福祉理念の変遷期とも重なり、実に34年の歳月を要する偉業であった。 』

引用ここまで

あと、このNHKのサイトも分かりやすいので時間があったらどうぞ。
http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/arch/thu/40506.html

日本では街中、駅構内とどこでも見かける点字ブロックなので、それが当たり前と思っていたら、そうではありませんでした。
点字ブロックがもっと世界で普及したらいいなと感じる出来事でした。
あ、よく点字ブロックの上に自転車を停めたりする人がいますけど、みなさんも気をつけてください(みなさんの中にそんな不注意な人はいないと思いますが)。

こういう小さな「気づき」を毎日大切にしながら留学生活を送っていきたいと思いました!

では、また何かあったらメールします!

松崎陽香
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